ご案内のとおり、ロジカルシンキングは「論理的思考」と言われ、ベストセラー本『ロジカル・シンキング―論理的な思考と構成のスキル』はよく知られている。コンサルティング業務への導入はもちろん、セミナーや講演でもしばしば取り上げられ、今ではすっかり日本のビジネスに根付いた思考方法・手法である。
一方、ロジカルシンキングと対義される言葉にラテラルシンキングがある。こちらは「水平思考」と言われ、1960年代後半、創造性開発の権威といわれるエドワード・デ・ボノ氏が提唱した思考方法である。
課題解決に当たってステップ1からステップ2と、順を追って論理を積み重ねることで結論を導くのがロジカルシンキングだが、ラテラルシンキングは、そのときどきで「前提を疑う」「新しい見方をする」といった多様性を思考手順に取り入れている。メリットは、既成概念にとらわれず斬新なアイデアを生み出しやすいことや、多様な視点からの考察が可能になることだが、その反面、論理性に欠ける。
集約すれば、相手に理解や納得を得るにはロジカルシンキングを使い、同意や共感を得るにはラテラルシンキングを使うといいらしい。
仮に次のような計算式があったとしたら、頭から計算するのがロジカル思考(公文的処理)だが、これを俯瞰視して、足算を3分割して30×3=90とする方が手間が省ける。
21+13+12+18+17+9=?
(21+9)=30
(13+17)=30
(12+18)=30
と俯瞰し、30×3=90と答えを導くと面倒な計算をしなくて済む。
時に、日本サッカーリーグのザッケローニ元監督が日本人選手に欠ける戦略に、マレーシア(ずる賢さ、要領の良さ?)を挙げているが、変化と多様性の中、絶えず前提を疑い最適解を叩き出す思考力とアウトプットが必要不可欠になってきたように思う。
まあ、正義や大義名分で生きられる時代でもなく、貫けば家族が路頭に迷い兼ねない世知辛い世の中、黙して語らず、場の空気に同調せねば消される時代である。さらに、変化と多様性の中に、いつスポイルされるか分からない不安を誰しもが抱えている。
まあ、いつの世も生き残るにはダーウィンが言うように、強者でも弱者でもなく、環境に適したもの(適者生存)でなくてはならない訳だが、コロナウイルス、ワクチン、地震、侵略戦争、金融経済の崩壊など、一連のキャタストロフィーに一挙に社会インフラがすっ飛んでも、何とか活路を見出すにはラテラル的なものを持ち合わせることに尽きる。
しかし、僕直、実直、ばか正直では罷り通らぬ世の中とは言え、少なくともそうあれば、気持ちが楽であり、精神的にさっぱりする。
そんな想いに、改めて精神活動の基となる生活環境の大切さを実感する訳で、家相風水をお手本に邪気が通り抜ける風通しのよい居場所に身を置こうと思う次第である。
改めて、いまあることに感謝したい。
それにしも、世間は波乱万丈、この春の嵐に耐え得るメンタリティーはかなりのものを必要とする。元より「適者生存」の本質は悲しいかな自分にはない。そんな現実に改めてアンティテーゼとして、生活環境の見直しを進めていこうと思う次第である。