都知事選

https://youtube.com/shorts/nmKZCe7dOOk?si=wUzlbNDXHmi5f0NS

このショート動画を拝見して、親鸞聖人の言葉が頭に浮かんだ。

親鸞聖人の言葉に「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる」とあり、その深遠な意味合いは人間の本質をついて


ここで、人間の悪性は根源的なもので、個人の問題ではなく、人間存在の普遍的な特性として捉えられている。

「こころは蛇蝎のごとくなり」とは、蛇や蠍は人に害を及ぼす生き物であるが、この比喩を通して、人間の心の危険な性質を強調している。

また「修善も雑毒なるゆゑに」とは、善行は必ずしも純粋でなく、しばしば自己中心的な動機や欲望によって汚染される可能性があることを示唆している。

さらに、「虚化の行いとぞなづけたる」ととは、修善行為は表面的で一時的なものになりがちで、真の救済や悟りに至る道にはなり得ないことを示唆している。

虚仮(こけ)=真実でないこと、偽り

親鸞聖人の一連のこれらの言葉は、人間の悪性や心の複雑さ、善行の限界についての深い洞察を示唆しており、人間存在の核心をついている。

だから、寛容な気持ちがなくては人付き合いなどうまくいく訳もなく、時に聖人君主のような言動をする人は他人との争いが絶えず、分断と分裂を招く危険性がある。

そんな視点から都知事選の候補者のコメントぶりを拝見すると、蓮舫さんや石丸さんは教科書とおり、やはり小池さんや田母神さんはそれなりの経歴や経験から娑婆のあり様がよく分かっている。

誰もが叩けば埃の出る身の上、いい事づくめでは通れない人生であるがゆえに、神仏の慈悲や救いを求め、朝夕に神棚や仏壇に手を合わせるしかないのが現実で、善悪、真偽も無明の中にあることを知らなくてはならない。

そんな想いに、ついコメントしてしまったが、ここで敢えて、学歴や経歴を考えてみると、やはり、その人間が歩んできた道、経歴にはそれなりに重みがあるもので、特に若くして受けた教育の影響は多大なものがある。

そんな想いに、変化と多様性への対応対策は急務ではあるが、今日ほど民族の結集結束が必要な時はない。そんなことから批判や理想に走り妥協や寛容を知らずして、分裂や分断を生むような人物は新都知事には相応わしくないのではないだろうか?

改めて、政治のあり様と人間の本質を考えてしまう。やはり、心あるまともな人はあまり政治には関わらないのではないかと思う。ただひたすら、民族の結集結束を衷心より願いたいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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