久々にカマキリのカマ子に遭遇したが、カマキリは冬眠せずに死に絶えてしまうので、カマ子の生命も幾ばくもない。近づいて三角形の顔を覗くとそれなりに可愛い顔をしている。トカゲのトゲちゃんも浮世絵の写楽のような広げた指をしているのが妙な親近感を覚える。
そんな畑の生き物たちとも来春までお別れだが、迫り来る冬の足音が何とも恨めしい。
まあ、世の中、いい事も悪いことも束の間、すべてが記憶の中に吸い込まれて跡形もない。目の前で展開される出来事には何かの意味や理由があるのだろうが、はたと知る由もなく、死ねば元の木阿弥、その存在さえ疑わしい。
27日投開票の衆院選も旧安倍派の候補者たちは軒並み苦戦を強いられているが、政党から2000千万もの助成金が渡されていると言うから、何処まで行っても金次第、現世は金に勝るものはない。
まあ、今の世の中、お金があれば大抵のことは解決できるから、生命の次はお金かも知れない。
そんな中、知人が3年も前からガンを患っていたことを知らされ、何ともはや、秋の寒空が身に沁みる。昨夜も何回も夜中に目が覚め、心穏やかとはいかないことから、座敷のカーペットをつけて暫し黙して座っていたが、雑念や邪気、邪念が次から次と湧き上がり、これまで邪気邪念は外から去来するものと思い、風水などの縁起を担いでいたが、どうやらそうではなく、自分の中に内包する観念ではないかと思った。つまり、邪気邪念は人様のものでなく、自分の内に内包する自分の妄想のようなもので、その発端は漠然とした不安感や恐れにあるのではないかと思う。
まあ、そんな心理作用を悪用して、人様の邪気邪念を呼び起こし、利用しているのが現世の仕組み、全てが人間の不安や恐れを利用して利得を企んでいる訳で、よくも悪くも現実を受け止め、諦めてすべてに感謝して喜んでいれば、自ずと穏やかな気持ちになる訳で、穏やかな気持ちになればお金も要らない。
そんな訳で、晩秋の夕暮れに感じることは多々あるが、それとても束の間、すべてが夢の中に消えていく。そんな想いに、改めてすべてに感謝したい。
過去は記憶、未来は夢、今新たな気持ちで飛び立たねば明日はない。新たなるご縁に幸あらんことを願いたい。