才覚

才覚とは、
すばやく頭を働かせて物事に対応する能力。知恵の働き。機転。「―のある人」
工夫(くふう)すること。また、すばやく頭を働かせて物事を処理すること。「客の好みに合わせて料理を―する」
あれこれ苦心して金や物を手に入れること。工面(くめん)。「―がつかない」「五〇万円ほど―する」
学問の力。学識。才学。
と言う意味であるが、

最近はこのような才覚のある人物には滅多にお目に掛かれない。要するに知恵者に会えないのである。才覚ある人とは、その場の状況判断が素早く機転が利く人を言うのだと思う。落ち着きがあって物腰や言葉使いが丁寧で品があり、初対面でも安心してお話やお付き合いができる人を言うのではないだろうか。もっといえば、世情が分かっていて、人間味があり冗談が返せて、どこか茶目っ気がある人なのである。

才覚とは、その人が一生を掛けて追い求めてきた想いの結晶でもあるような気もするが、そんな風格のある人物が少なくなったことは事実であり寂しい限りである。昔は、学問が有る無しに拘わらず、街の長老や組織の親分はそうだった気もする。そんな人情味溢れる街にもう一度住んでみたいものである。夕方になれば、まな板の音が聞こえ、納豆売りの呼び声や豆腐屋のラッパの音がする時代が懐かしく想うのである。

今や全てが商業化され、便利な商品やサービスが巷に溢れかえっている。工夫したり助け合ったりしなくても何でもお金で買える時代でもある。自分で考えなくても、マニュアルどうりにやっていれば失敗もなく、責任も回避できる。そんな世相に才覚を求めること事態、無理かもしれないが、少なくとも政治や宗教や教育に携わる人くらいは才覚のある人物であってほしいと思うのである。

二度目の冬を迎え、寒さの中、明日が見えない生活を強いられている被災者が、未だ16万人もいるのである。年明け1月からは、所得税が2.1%上乗せされるのだが、その使い道さえ明確化されない中、原発事故処理のずさんな安全管理がリークされるなど、日本社会の組織疲弊は目に余るものがある。

決められない政治は、統治機構に問題があると言うが、昔は巷にたくさんいた慎み深く才覚ある人材がいなくなったと言うのが、実態ではないだろうか。江戸の粋、男気、気骨ある人、老いたら男なら誰もがそんな風に言わる日本でありたいと思うのである。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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