首相官邸からfacebookを通して、阿倍首相の公務の様子が送られてくる。正に激務である。我々のように草臥れたから、息抜きに温泉へ何て訳にはいかない。自由になる時間もまずないだろうから、ストレスもかなりのものと察する。しかし、それでも頑張れるのは自分のことでなく、人のためにお国のために誠意を尽くす使命感があるからだと思う。
人は自分のことは、「紺屋のしら袴」と言われるように、後々になってしまって、なかなか手が回らないが、人のことはその喜ぶ顔が目にしたくて、意外と頑張れるものである。だから、生きる目的を失った人は、誰でもいいから人のために、人に尽くすことを念頭において生活したらどうだろうか。そうすれば、生きる目的を失った自分であっても、その人にとって生きる目的になり得ることが分かり、違った意味で、生きる目的を知り得るものと思うのである。
極論を言えば、どう生きてみても、ある役割をリハーサルのない社会と言う一度切りの大舞台で演じているだけの話しなのであるが、ややもすると弱気になって生きる勇気を失い兼ねない日常において、父母や先輩諸氏がしてくれたように、自分も人に生きる勇気を与えられるようになりたいものである。
ところで、民主党の野田前首相は、民主党の歴代の党首の中では一番よく真面目に仕事をした方だと思うが、衆院選に大敗し責任を取って辞任してはいるが、その責任はむしろ鳩山さんや菅さんにあると思われ、真に気の毒である。そんな政治家の生き様を垣間見るにつけ、政治家の一生とは、ある意味で、世相に踊らされる「裸の王様」のような気がしてならない。よっぽど気を強く持たないと、その後の人生において、生きる目的を見失し兼ねない気がするのである。
政治家は使い捨てなどと言われるが、大なり小なり、それは我々にも通じることなので、できるだけ人様のご厄介にならぬように心がけ、これまで受けた社会の恩寵に少しでも報いられるように、頑張っていきたいと思う次第である。