ネット社会の民主主義

ネット社会における民主主義が、いろいろ取り沙汰されているが、バージョンアップ・デモクラシーとか言うそうである。貨幣経済が我々の生活を生産と消費とに分化し、生活環境が大きく変化したように、今ネット社会においては、一度分化した領域が逆に融合しているとの視点から、新たな直接民主主義を標榜し模索していこうと言う動きのようである。

つまり、情報社会においては、様々なものが融合し、俗に言うコラボが広がり、ある意味で、物々交換の時代のような様相を呈していることからの発想なのである。つまり、貨幣を介さずして価値が交換できる社会は、皆が使えば便利で料金もただ同然になる世界であり、ネットオークションと言った廃物利用などもその手のものと言えるのであるが、情報化により生活環境が大きく変化していることは否めない。

それで、このことを踏まえ、新たな民主主義を標榜しているのである。つまり、政治と民衆といった垣根をなくし、民衆そのものが政治に直接関与するような政治の仕組みを模索する活動なのである。極論を言えば、街の廃品回収に関与するがごとく、政治に関与していくようなシステムつくりを考えているのであろうが、果たしてどうだろうか。そんなことで、国防やグローバル化した経済政策が運営できるとはとても思えない。

なぜなら、現代社会は広範に亘って細かく職業が細分化されていて、それぞれに専門知識や技能が卓越しているのが実態である。それゆえ、それなりの専門集団を組織して運営させる方が効率的であり間違いも少ない。しかし、それには今の日本の統治機構のように組織疲弊を起こしてしまうこともあるのであるが、それは統治機構そのものよりも、組織に携わる職員の倫理観や世界観が大きく起因しているからであり、常に変化に乗じて組織改革していけば良い話である。

話を元に戻すが、つまり、ネット社会における民主主義制度は、情報公開は元より自己決定や自己責任といった領域での間接民主主義で十分ではないかと思うのである。確かに主権は国民にあるのかも知れないが、その責任は重い。その重責を付託されたものだけが国政に携わるべきであって、一国民が主権を主張できるほど国政は甘くない。民主主義とは民衆に迎合するポピュリズムのような印象を今の政治では受けるが、誠に恐ろしいことである。主権とは民衆にあると考えること自体、もう一度考え直したらどうだろうか。

それより、今一番大切なことは、そのようなポピュリズムを興起させることではなく、むしろ、政治家や行政当局が一丸となって、日本のあるべき方向性を指し示し、市民に安全と安心を与えられるように、自らが胸を張って誇れる仕事をすることである。

現場主義に徹し、それを政策にどのように反映していくかは行政の仕事である。中央官庁は地方の実態を踏まえ、政治家と良きコラボして、地域の実情や国状にあった政策を立案して自信を持って執行していけばいいのである。

私達、日本国民は誰一人として公に仕える身であって、その想いなくしては、民族の誇りを失ったとしか言いようがない。慎み深く相手を想い遣る倫理観なくしては、もはや日本民族ではない。新たな教育再生プログラムによって、良き日本を取り戻し、世界に冠たる思想の国として、世界をリードしていきたいものである。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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