big data

big dataとは、構造化されていない膨大な情報(data)を言うが、それが情報処理技術の進展から経営戦略や防災や防犯に活用できるようになり、俄かにその価値に注目が集まっている。大手AmazonやRakutenなどの通販を利用したり、音楽サイトを利用したりすると、自分の好みのアイテムを先方からプッシュしてくれるが、私としては秘書がいるようで便利で重宝している。

ところで、そもそも、人間はどんなことでも因果関係を見つけることが好きというか、そうしないと漠然とした不安を解消できないような処がある。その最たるものが、「親の因果が子に報い=因果応報」であるが、今の自分は親の生き様の結果なんて言いわれると、何かお互いの尊厳が色褪せるような気がする反面、妙に納得したりして、複雑な気持ちである。

しかし、そこまでいかなくとも、何か事件や事故が起こると、今やテレビや新聞で多くの専門家やコメンターを交えて原因究明するのが常態化している。そんな世相に、私たちはさしたる根拠もなく、その日の気分や思い付きで、日頃の出来事を簡単に因果づけてしまうことがある。そして、それがある種のトラウマになって、虎と馬が脳裏を駆け巡るとしたら、これは問題である。そうならないためにも、過去は過去として、「日に新た」を指針に据え生きていくのが得策だと思う。

それで、話を元に戻すが、big dataは事象の相関関係を瞬時に統計的に見出すもので、因果関係を探るというより、事実の集約とか確率を単純に表すものと言える。JR東日本が山の手線の乗降dataを民間企業に売却したそうだが、それも新鮮なdateでなくては利用価値がない。社会的なインフラを効率的に活用するにはいいと思うが、個人のプライバシーが侵害されることも無視できない。

そんな情報社会の課題は、twitterやfacebookでも同じことで、有名人が写メされ投稿されたり、コンビニの冷蔵庫や廃棄するパンの上に寝そべったりする写真が投稿されたりして、利用者のモラルが問われるところである。これらのツールは、個人的な仲間同士の話題が仲間同士に留まらないところに、便利さとは裏腹に問題があると言える。

猪瀬東京都知事を始め、多くの政治家が日常の活動をこれらのツールを利用して「自分盛り」しているが、日頃の思いが伝わってきて親近感が得られる一方、当たり障りのない投稿記事に慣れると興味が薄れるものでもある。

いずれにしても、これらのツールは想定外のことも想定して注意して活用するに限る。民主制にも大きく貢献できるツールであると同時に、絶大はプロパガンダにもなり、政権の崩壊や中世の「魔女狩り」のような世相を創り出すものにもなり兼ねない。

そんなことを考える日々であるが、不確実な時代に、「一発回答」的な極論や過激な言動には特に注意した方がいいように思う。何事もゆっくり変わっていくことが大きな間違いを犯さない秘訣なのではないだろうか。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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