兄弟は他人の始まりとか言うが、よく考えてみると、親兄弟も我が子も孫もある日突然目の前に現れ、ある日突然に目の前から立ち去っていなくなってしまう。いつでも会えると思っていた両親や祖母もいつのまにか他界し、今では子供たちも年に幾度か帰郷してくるだけである。楽しく日常を共にした友人や仲間達も、結婚や転居や転勤などで、いつかしか知らぬ間に離れ離れになって、音信不通になってしまう人もいる。
正に、「縁は異なもの味なもの」で、ご縁を大切にして生きてこそ、人生を豊かに過ごすことにつながることは確かだが、中には二度と会いたくない人もいて、なかなかお付き合いとは難しいものである。
特に、仕事を通して知り合った人とは、職場を離れると会える機会も少なくなって、日常の忙しさに感けて、連絡も途絶え気味になる内に、年賀状や誕生カードのやり取りに終わってしまうようになってしまう。寂しい限りである。
その理由をもう少し掘り下げてみると、誰もが在り来たりの日常であっても、何かと気ぜわしく忙しさに感け、精神的にゆとりを失ってしまうからではないだろうか。最近は新たな出会いや人との会話や交わりに、あまり興味がない若者も増えているような気もする。
しかし、それでは寂しい。人生は憂いと悲しみに満ちていて儚いからこそ、その想いを多くの人と共にしなくて、実りある己の道を見出せないからである。小さく自分の殻や家族の中にばかりいては、どんなにすばらしい家族や家庭でも活力が失われてしまう。人の集まる処は、家庭であれ会社や組織であれ皆同じである。出会いと別れを繰り返すことで、伝統を維持して更なる発展と飛躍があるのである。だから、飽くなき探究心と好奇心を失うことなく、日常に目を向け、その想いを多くの人と語らなくてはいけないと思う。人は独りでは賢くなれないのである。多くの人と交わり語らなくては己を知りえないからである。
仕事とはお金を稼ぐことではない。人と交わるステージをもつことである。3割を超える離職率の今日、ブラック企業も多く、社会問題化しているが、振込み詐欺の横行もあって、世相の荒廃には目を覆うものがある。そんな世相に、社会全体で「仕事」のあり方や意味をもう一度考え直す必要があるように思う。
それにしても、人の出会いと別れは意味不明である。だから、いつまでも一緒にいた時の絆を大切にしていきたいと想う次第である。