今日急速に進むグローバリズムとは、国の枠組みや民族や文化を超えた世界的な流れを言うのであって、以前よく言われた国際化とは一線を画する意味を持つ。つまり、国際化とは自国の文化や歴史を色濃く残しながら、民族や文化の異なる国々と協調していくもので、この二つの言葉は似て非なるものである。まあ簡単に言えば、グローバリズムとは地球国家を目指す動きを意味するもので、ジョンレノンのイマジンの世界を想像すればいいように思う。
つまり、民族や文化や地理や気象条件などが異なっても、同一の価値観を持つ大きな世界が生まれようとしている訳で、この流れに取り残されては、如何に世界に君臨する経済大国である日本と言えども、その行く末はかなり危ぶまれる。
そんな危機感からか英語教育が最近小中学校で義務化されたようだが、環太平洋の諸国のハイソな連中が国を超えて流暢に英語でビジネスを展開している今日の状況を考えると多少遅すぎた感がある。さらに、ベトナムなどの途上国では、ベトナム戦争当時のアメリカ移住者が最近は続々と祖国に帰国しているようで、先進諸国に人脈がある彼らが祖国で立ち上げるビジネスには、何処か不気味なものを感じる。
そんな世界の流れに、今日世界第二位の時価総額を誇る東証も、いつアジアの新興市場に足をすくわれるか分からない。時代は正に情報戦に突入しており、いち早く情報と人脈を押さえた者が勝利する。そんな世界の方程式に、私達はそれなりに対応していかねばならない時代に生きているのである。
しかし、そんな危機感を抱いている人はかなり少ないないように思う。それは、日本は世界で稀に見る単一民族国家のため、阿吽の呼吸で相手の意を介する高度なコミュニケーション社会に私達は暮らしているからで、下手をすると、このことが人口の減少に伴い、大きく国力を衰退する要因になるような気がする。
なぜなら、島国である日本は海洋国家として諸外国と緊密な関係を持つことに利があるのであって、小さく縮んでしまっていては、世界の潮流から取り残され、俗に言う「ガラパゴス国家」に成り下がってしまうからである。
つまり、国の枠を超えて情報や人や物が頻繁に行き交う今日、世界に生きる70億人の心情や価値観を知り尽くして、それなりに世界の人とお付き合いしていかなくては、ずる賢い出鱈目な倫理観を持つ国の台頭に、お人よしの日本社会は煮え湯を飲まされることになるからである。
ご案内のように、世界には今日、出鱈目で低俗な倫理観を持つ国や、異端とも言える国家思想や生活信条や宗教に毒された独裁国家が数多く存在する。宗教に関してはアメリカはプロテスタントの国であり、イスラエルやアラブの諸国と何ら変わらない。お隣の韓国は独特の新興系のキリスト教国家で全人口の30%が信者であるにも拘わらず、毎年1,500人以上、毎日40人を超える自殺者が社会問題化している国であり、自殺率33.5%(2010年統計世界第2位)は日本の23.8&(第5位)を遥かに超えている。
そんなお粗末な国のキリスト教をお手本に布教活動に勤しむ宗教法人が、現に身近に存在し布教活動を行っているのである。怖いとしかいいようがないが、不安の時代に人の弱みに付け込む宗教には注意を要することは言うまでもなく、偏に騙されないことである。
まあ、とどのつまり、美しい心と原風景が残る日本を、邪悪な諸外国の魔の手から守り抜くには、私達は相手国の心情や価値観を知る努力を惜しんではならないのである。諸外国の民の本質を知らねばならないのである。と同時に、それにも益して、私達日本人の心情や価値観を諸外国の人達に理解してもらう努力を重ね、願わくば私達と共に歩む世界国家を築いていかなくてはならないのである。
「己を持って人に接する」当たり前のことであるが、その辺の加減が難しい、巧みの業がいるのである。心を開かねば人とは打ち解けられないし、打ち解けるべきは打ち解け、己の生活心情や価値観を醸成すると同時にマッチしないものは跳ね除ける物差しがなくてはならない。多くの情報が入り乱れる世相に、今の日本人は下手をするとミイラ取りがミイラになり兼ねないのである。
然らば、そんな世相に、私達はどんな意識を持たなくてはならないのだろうか。基本的には、私達日本人は極め細やかで繊細で、仔細に物事を観察して品質の良いものを創り上げる能力には長けている民族だと思う。しかし、その一方でより広い視野で物事の意味や位置を俯瞰的に捉えることに苦手なような気もする。
それは、性能では世界でも抜きに出る日本の携帯電話が、ガラケーと化したことや、未だに日本の大手企業が、IphoneやGallaxyやLGの部品サプライヤーに甘んじていることからも理解できる。そして、さらに言えば、そんな狭隘な視点でしか物事が捉えられないとなると、世界に冠たる技術を有していても、グローバル化の流れに下請け立国や日銭をひさぐ観光立国に成れ下がってしまい兼ねない。
世界はもっとしたたかであって、滝川クリステルの「おもてなし」もいいが、それなりに相手国の心情や価値観を知り尽くし対応していかないと馬鹿をみるのは自明のことである。
そんな意味からして、私達個人は、世界に目を転じ常に情報通になることが不可欠であるが、その一方で、マスコミの人材不足には一抹の不安が残る。マスコミこそはジャーナルの本質を弁えて勇気をもって気骨ある報道をしなくてはならないからである。
そんな中、NHKの国際放送について、安倍首相が最近「もっと興味が持ってる内容に」と注文をつけたが、つける方も付けられる方も誠に寂しい発言である。ジャーナルは日々日常を生き抜く指針・基となるもので、政治家の発言は深い意味がなくてはならないからである。共に命を掛けて発言し報道するものでなくてはならない。その意味からして、今日のNHKの報道は妙に民意を気にし、そんな気概は全く感ぜられない。
それにしても、毎夜カクテルを飲むことが文化人ごときの放送を、震災復興がままならぬ内から繰り返す国営放送が何処にあろう。まさに、外国かぶれもいいところであって、こんな邪悪な生活心情を流布する番組は、日本人の美意識と生活信条とは全くかけ離れた無縁のものとしか言いようがない。
そんな訳で、グローバル化の流れの中、少子高齢化は進み10年度の2035年には65歳以上の高齢者が33%を超えると言われる。生きていればその一員である私としては、呆けて社会のご厄介にならぬよう、できるだけ世間を広く生きて見識を深め、美しい日本の形成に一つでも貢献したいと思う次第である。