自由

日本国憲法は、自由で平等で差別や偏見のない生活を保障しているが、 理想を書き記したものとしても、よくまあこれだけ嘘を書き並べたものである。

なぜなら、 私たちは生まれながらにして 何らかの既得権益の上に生まれ、その後もその恩恵に浴して暮らしているからで、生まれ落ちたその掌に、米粒を握ってきたか、麦や粟や稗を握ってきたのかでは、その後の人生は全く違ったものになるからである。

門地門閥や学歴は言うに及ばず、身体機能や能力においても千差万別、二人として同じ人間はいない。特に性別については、男と女では 全く違う感性や能力や特性を持っている訳で、それを平等と見做すことに、何のメリットがあるのか疑問に思う。 ことを無理に難しくして苦労するだけの話しである。

要するに、憲法は現実や実態を無視して実現不可能な理想を書き並べているだけで、こんなものなら「 インディアン嘘つかない」の方がまだマシである。

国家のことなど何も分からないのに、国家の主権が私達にあると言うのである。 そんな無知な私たちが主権を行使する代表を選挙する訳だが、選ばれる人は体制に加担しようがしまいが、憲法下の法律の枠組みの中で、施政者の支配下にある訳で、正に為政者の詭弁である。

さらに、鳥のように空も飛べず、魚のように水中を泳げずに、1日歩き続けてもせいぜい100km、 ラクダのように砂漠を旅することもできない私達に自由があるとは思えない。

新幹線に乗るにもお金がなくては乗れないし、不意の発熱や頭痛や腹痛、正に「 出物腫れ物所嫌わず」、白髪一本だに黒くすることも白くすることもできない。歳取れば手足や顔はしわだらけ、頭髪も抜け落ち足腰は曲がり、再生医療や アンチエイジングなど 夢また夢の話である。

そんな風に考えると、そもそも 自由があると思っていること自体が間違いであり、 そう思わされているところに、施政者の意図があり罠がある。

つまり、私達には元から自由などないのである。自由を餌に私達は施政者に操られている訳で、このパラドックスから抜け出ない限り、貪りや怠惰、妬みや奢り、争いから抜け出せない。自由を追い求める限り、利権争いに巻き込まれ、争いは続き戦争はなくならないのである。さらに、自由の名の下に合法化された超格差社会を支える奴隷になってしまう。正に、自由は差別や偏見を生み、争いを生じ、己の自由をも拘束するものとなってしまう。

そんなことから、古来から賢者は火宅のような三界を離れて、涼しき林野に安処して熾念を滅すと言われるが、私も現代に置き換えてそうありたいと思う。

そんなことから、私は不自由を友にして生きているが、それでも有難いことに、定年後は仕事もせずに一人身勝手に時間や気持ちにゆとりを持って暮らしている。

そんな私だから、未だに三界の火宅に生きる妻の目にはかなりの「お楽どん」に見えるらしいが、昔から「男はロマン、女はゴハン」なので、如何とも致し難い。

しかし、それでも最近は ネットを介して様々な情報が集まるから、 偏向報道や印象操作もすぐにネタバレしてしまい、 財務省をはじめ、 NHKや民放各社や大手新聞社や広告代理店などの権威も揺らぎ、改めてその使命が問われてはいるが、戦後70年に亘る洗脳教育を覆すまでには至っていないのが実態である。

いずれにしても、中国や北朝鮮の核弾頭が 日本の主要都市を手中に収めている現実を踏まえ、私達は今一度近代日本史を学び、改めて憲法にある「自由や民主主義の意味」を考えてみる必要がある。

そんなことで、今日は真夏を思わせる暑さにダラケてしまい、 来週25日に予定する研修会の資料もろくに読まずに一日が終わってしまった。 気持ちを入れ替え明日からまた頑張ろうと思う。

jpkanamori について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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