意識

ご案内のように、意識には顕在意識と潜在意識がある。顕在意識は普段私たちが自覚している意識であるが、潜在意識は活動しているものの自覚されずに心の奥底に潜んでいて、行動やものの考えに大きな影響を及ぼし、感情や場の感覚と密接に関係していると言われる。

一説には、私達の行動はこの潜在意識によるところが大きく、じゃんけんなども顕在意識でなく潜在意識によって決まり、潜在意識に反した行動には違和感や不快な感覚や感情を覚えるらしい。

そういえば、理由もなく嫌な感じがしたり、妙に好感が持てたりすることがあり、まあ、アドラー心理学では「感情には目的がある」と言うが、なかなか潜在意識の世界は奥深く興味深いものがある。

そこで、そんな潜在意識が作用するスピリチュアルな世界を覗いてみると「人間は潜在意識によって高い次元につながっていて、感謝の気持ちを持つとそのエネルギーが良い波動や運気を引き寄せ、魔法のように人生が好転する。」と言った現実ばなれした宗教的な世界観が信じられているようである。

確かに人を嫌ったり恨んだりするより、好意や感謝や許しの気持ちを持てば、心の癒しや安らぎが得られ精神的に安定するから一義的には有効な思考法だと思う。

しかし、世間には悪意や理不尽な行為やモラルやエチケットに反することも多々あり、「出物腫れ物所嫌わず。」にして、身体は常に思い通りにはならないし、加齢や過労や不規則な生活による体調不良などもあって、全てを潜在意識に結びつけてしまうのもちょつと乱暴で科学的な根拠を欠くような気がする。

さらに、見えぬ形而上学的な世界をある種の考えで一方的に紐解いてしまうのも理性的なアプローチを手放すことになってしまう。

そんなことから、私的には世間には絶対と言うことはないから、臨機応変に意識を切り替え一方に偏らずに物事を多面的に見た方がいいと思う。

まあ、精神的に行き詰まったら、今は病院や大学や各種のセミナーなどの心理カウンセラーやセラピー、ヨガや整体やカイロプラクティック、ハリやマッサージなど、心身の痛みを和らげる対処法には事欠かないから、一つに限らず適当に組み合わせて、潜在意識を追ってみるのも面白いと思う。

また、そんな見えぬ世界を垣間見る哲学や心理学や宗教などのスピリチュアルな世界にあまり深く傾倒すると、現実の世界と乖離してしまい返って日常生活がうまくいかなくなるから、ものの見方を広げる程度にするのがいいように思う。

私的には、私達は在家の身なので、困った時の神頼み程度に理解すれば良いように思うが、人によってはのめり込んでしまい、怪しいカルトに入信してしまう人もいるから厄介である。

まあ、確かに宗教を始め、大学の研究や文化芸術やスポーツなども極めるには、それなりに世俗を離れて霞を食べるようなところもないと極められないし、考えてみればそれなりに実家がお金持ちだったり、パトロンやスポンサーがいる。

まあ、神社もお寺も賽銭やお布施で、また教会も献金で成り立っている訳で、見方によってはビジネスである。まあ、利益誘導の如何によってはカルトになってしまう訳だが、そんなマインドコントロールに嵌らないためにも、逆説的だが普段から潜在意識と仲良くして、意識を適度に切り替える知恵も持つことが必要である。

なぜなら、潜在意識を深く知れば、詐欺紛いの誘惑にはそれなりのリアクションがあるからである。しかし、極論を言えば、最終的に頼りになるのは自分の意志であり、神仏でもなければ潜在意識でもない。

しかし、そんな中にも、私達には計り知れない様々な力が及んでいることは確かなので、そんな大自然の営みへの畏敬の念や感謝の気持ちは忘れないで、何事も大欲をかかずに目標は小刻みにして最善を尽くして天命を待つのが一番である。そうすれば、失敗しても諦めがつくし、失敗や過ちも新たなチャレンジの原動力になると思う。

そんな訳で、季節は春である。カメラ片手に街に飛び出せば、ファインダー越しに見える世界は、絞りやシャッター速度が織り成す顕在意識とファインダー越しに見える世界は潜在意識の世界である。

夢と現実が織り成す世界は無限で実に楽しい。すべてを捨てれば、見えぬ世界も見えてくる。そんな想いに、今日も新たな出会いを信じて頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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