学び

ご案内のように、投資と言えば株や不動産投資が直ぐに頭に浮かぶが、教育ほど有益で有効な投資先は見当たらない。なぜなら、今日の日本が世界第3位の経済大国にあるのも、明治維新の先人が西欧の列強に負けじと、国民の教育レベルの向上に努め、いち早く近代化を成し遂げたからである。

そんな日本の教育も、当初は富国強兵策の一つとして一律に国民の教育レベルの向上を目指すものであったが、戦後の民主洗脳教育による思わぬ産物から、国への人材育成教育から個人の自由と尊厳を保証する教育へと軸足が移り、「人は人、自分は自分」と言った自律した個性的な生き方ができる人が増えてきたように思う。

しかし、そんな中にも、どうも日本人はもともと農耕民族だったせいか、 集団や場の空気の同調圧力に負けてしまい、自分を生きられない人も多いように思う。

まあ「皆んなで渡れば怖くない」的な発想に落ち着く人が多く、そんな風潮や世相から、集団からちょっとハミ出したりすると、皆んなの妬みややっかみを買い、見苦しい炎上劇に発展したりして、その典型的な事例は、政治家や芸能人の不倫騒動などが挙げられる。

そんなことから、日本がフランス並の大人の社会になるにはまだ相当の時間が掛かるような気がするが、それにはいつも組織や集団の言いなりになっていては覚束ない訳で、自分の意志や意欲を大切に他者との違いに生きられる人が多くならなくては、一端の大人が暮らし易い社会にはならないように思う。

そんな想いに、つくづく教育のありがたさと学ぶことの楽しさと喜びを実感する訳だか、そんな視点に立つと、こと人間に関しては、男と女は全てにおいて対局的な存在であるからして、ある種の文化の衝突のような関係があって、友達とすると同性より楽しいのではないかと思う。

しかし、それだからと言って、これが男女の関係になると、これまた違った局面を呈することになるから不思議である。まあ、結婚と恋愛は別ものであると言われる由縁なのかも知れない。

つまり、理想を言えば、大恋愛の末に結ばれて子宝を授かり、共白髪まで健康で連れ遂げれば、それはそれで越したことはないが、結婚は夢を語る恋愛とは違い、お互いの生活基盤を盤石なものにし、次世代に命を引き継ぐ営みであるからして、現実そのものであり、矛盾と妥協を余儀なくされる苦役でもあり労苦である。

さらに、子供は負担にもなればリスクにもなる一方、反対に労働力にもなり、将来的にはリスクヘッジにもなる訳で、その証拠に未開の地に行けば行くほど、子供は労働力であり財産である。

つまり、子供がたくさんいれば、苦労しても将来的には生活が安定する訳であるが、なぜか未婚や晩婚や3組に一組が離婚するような社会になってしまうのは、結婚に対して夢まぼろしのような理想や恋愛観を抱いているからではないかと思う。

まあ、最初から嫌なら交際が始まるはずもないが、恋愛感情が大きく伴うと冷静な判断を欠き、盲目の内に愛と言う夢が覚めた時、お互いに許し合える範囲を逸脱したものになってしまうところに、破綻する原因や理由があるのではないだろうか。

まあ、最終的には、如何なる関係も信頼できる関係に落ち着かない限り破綻する訳だが、その信頼の基盤や理由がそれぞれに異なるところが、人生の喜びでもあり苦しみでもあり、楽しみや悲しみでもある訳で、人生が機微なるものと言われる由縁ではないかと思う。

まあ、教育や学びが将来への夢や投資であるのに対して、その営みは現実であることに変わりはないところに多くの矛盾と嘘偽りが包含されている訳であるが、それでも厳しい現実からして、愛に不確かな希望を抱いて生きる私達は、一体何者なのだろうか?

そんな想いに、今日も新たな出会いを信じて、学びの世界に遊んでみようと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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