過ち


新型肺炎の感染拡大によって完全に都市機能が麻痺した湖北省武漢の様子をみる限り、都市機能を失った都市ほど魅力のないものはない。

公共交通機関が止まり、人影もまばらな駅や人通りが途絶えた街の様子を見る限り、今の武漢は完全にゴーストタウンである。その一方、市民は感染を恐れて、それぞれ自宅に閉じ籠っている訳で、さぞかしストレスが溜まるのではないかと思う。

市の衛生当局の封じ込め対策が功を奏し、一刻も早く元通りの市民生活を取り戻せるといいのだが、ただ祈るばかりである。

ところで、そんな武漢の様子から、改めて近代都市の社会インフラが災害(人災?)に脆弱であることを思い知るが、ウィルスのような微細なタンパク質の塊りで、私達の生活が一気に破壊してしまう現実に、ショックを受けた。

まあ、つくづく幸せの意味を考えさせられる出来事だが、自然界に存在するウィルスに手を加え、その逆襲に遭うとは、物質や科学技術を過大に信奉する今日の私たちの生活意識の愚かさを痛感する。何から何まで手を加え、成れの果てには自分の身体さえ改造を試みる世相に、自然と調和して生きることの大切さを改めて感じる。

確かに、この地上で生きていくには、精神論だけでは生きていけない。現実に私たちは物によって支えられ、物によって幸せを感じている。しかし、その一方、精神的なものが満たされなければ、幸せを感じとることができない訳で、人間とは本当に不可解な始末の悪いものである。

つまり、私たちは物質を支配するサタンと精神を支配する神との両面を持つハイブリッドな存在であり、そのどちらに偏ってもまた失っても、この地上において生きていくことができない存在なのである。

そんな物心両面の矛盾は、極論すると男女の関係に最も顕著に現れるような気がしてならない。なぜなら、如何なる崇高な恋愛も精神に留まることなく物質的な肉体の交わりによって満たされる訳で、ただ結婚することが目的なら、恋愛感情を捨て去ることが、成婚に至る最も容易い近道と言える。

言い換えれば、物質が支配するこの地上においては、そもそも私たちが理想とする恋愛は成り立たない訳で、そんな男女の関係や営みを探している限り、永遠に相手は見つからないと思う。

つまり、簡単に言えば、厳しい現実を生き抜くために、私達はお互いに「破れ鍋に綴じ蓋」になっている訳で、ひとりでは食べていけないから二人で暮らしている訳で、それが地上で暮らす私達の幸せの原点なのであって、この地上において、理想の恋愛をしようとすること自体に無理があると言わざるを得ない。

その一方、私達の今の生活はあまりにも物質に偏っていて、物質の法則に生活自体が雁字搦めになっているところに問題があり、見失った精神性をいくらモノで満たそうとしても叶う訳がない。だから、そんな単純な過ちを皆んなが気づき、これまでの価値観や世界観を転換しない限り、武漢のような過ちが繰り返されるのではないかと思う。

それでも、そんな社会の流れに対して、最近は人の絆やつながりをテーマとする作品が世間に出回り、私達の意識も物から心へと移り変わってきているが、それも商業ベースや怪しい宗教やスピリチュアルな世界観に乗っているものが多く、そんな薄っぺらなもので人間の心や精神が満たされるわけもないのだが、それでも物質から離れた意識に目覚めただけでもいいのではないかと思う。

そんな訳で、話しをもとに戻すと、命あっての物種、現実は現実として受け止め、とにかくウィルスに感染しないように注意しないといけない。

私的には、当面は精神と肉体のバランスをとりながら、栄養と運動と睡眠に十二分に気を配り、規則正しい生活をして、私たち人間が描く理想の愛を求めて頑張っていこうと思う次第である。



jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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