例年ならお盆は近所の駐車場に首都圏ナンバーの車が並び、普段見かけない親子連れを見かけるが、今年はそんなこともない。
コロナのお陰で、本当に静かなお盆になってしまったが、そんな気持ちを反映してか、軒先に吊るされた盆提灯の灯りが、夏の終わりを告げているかのように寂しげに映る。
私は先週に妻の実家の菩提寺にお墓参りし、今週は盆入りの13日に私の菩提寺にお墓参りしたところ、ご住職はまだ独り身なので、留守居がおらず、戸締めに困ったものと思案していたところ、何か忘れ物でもしたのか、住職が汗だくで自転車に乗って近所の檀家から戻ってきた。
これ幸いと、そうそうにご挨拶をさせていただいたが、今年はコロナのおかげで、どこの檀家も玄関先で簡単なお経で済ませてもらっていると言う。本堂でも適当な距離をとって座ってもらい、さすがにお経はマスクをしては上げられないと言っていた。
まあお寺も大変なことになったものである。宗教も半ば金儲けでやっている連中は、人寄りができないから献金やお布施も入らないし、無理すればクラスターで生命を落としかねないところが面白い。まあ、いつも世も欲をかかず本筋に生きるのが一番、寡欲には癒しがあり安らぎがあり安泰がある。わたし的には、見方を変えれば、良い時代になったと思う。
なぜなら、そもそも、今日の生活はものが溢れ物に支配され無駄が多い。テレワークになれば、毎日職場に行く必要があったのか疑問に思うし、食事や運動や睡眠もコロナのおかげで見直され、かなり余計なものが削ぎ落とされたと思う。
まあ、現役の皆さんはまだ「腹減ったら食う、疲れたら寝る」には程遠いと思うが、それが生活の原点であって、風俗や習慣、様々な法律や決まり、マナーやエチケットなど、自由な生活を規制するものがいかに多かったのか、コロナパンデミックによって浮き彫りにされ見直しができた訳で、私的には無駄に破滅に通じる競争からそれぞれに抜け出せて、良かったのではないかと思う。
そんな訳で、今日も本当に暑い日だった。熱風吹き荒ぶとはこのところの暑さではないかと思うが、それでも毎年お盆が過ぎれば、なんとなく秋風を感じるものである。
そんな想いに、今年のお盆も平穏無事に終え、ただひたすらご先祖様に感謝する想いが込み上げてくる。すべてに感謝したいと思う。