臨場感

世の中で人間ほど恐ろしいものはない。なぜなら、一皮むけば誰もが恐ろしい野獣の本性を隠し持っているからで、その最たるものは「言葉」である。

なぜなら、言葉は人を励まし元気づけ喜びを与えたり、人を蔑んだり傷つけたり絶望の淵に追いやったりするからで、SNSへの心ない書き込みや中傷が人を死に追いやることも今日的には珍しくない。

まぁ、どんなことが書かれても「そんな考えもあるんだ。」とやり過ごせればいいが、何かの調子で自分のコンプレックスや恐れにつながったりすると、怒りの導火線に火がつき、日ごろの不平不満、愚痴泣き言や溜まりに溜まったストレスの吐口となって、とんでもない批判や中傷につながってしまうのではないだろうか。特にネットの書き込みは仮想環境であるからして、匿名性から顔が見えないだけに、人間の心の影の部分が俄かに露呈し怖いものがある。

時には、癒しや安らぎ、優しさや善意に満ちた言葉も見受けられるが、その背後に恐ろしい野獣の目論みが隠されていたりして、人の弱みにつけ込み利益誘導するカルト宗教などはその最たるもので、正に地獄の沙汰も金次第といった形相が見て取れる。

そんな恐ろしい「言葉」について、もう少し深掘りしてみると、「言葉」はいとも簡単に時空を超え、私たちの意識を別の世界に飛ばしてしまう。その世界が私たちにとって好ましい世界であれば良いが、いたずらに私たちの根源的な恐れや不安やコンプレックスに結びつくと、これが憧れくらいで済めばいいが、妬みや僻みや恨みと言った「恨の意識」を目覚めさせてしまうから始末に悪い。

そんな視点から、お隣の韓国の様子を伺うと、韓国の社会は真実や事実と異なる言葉による「妄言や妄想や虚妄や虚構による恨の文化」に支えられており、常に妬みや僻みや恨みと言った「恨の気持ち」が生活の原動力になっているような感じがする。まあ、韓国社会の支配層によるプロパガンダや印象操作によるところが大きいと思うが、本質的にそんな思考回路を隠し持つ民族であるとしたら、それなりに距離を置いてお付き合いする方が無難である。

しかしながら、このような「恨の文化」は、私たちの意識の根底にも少なからず潜んでいるもので、その辺に怖いものがある。

まあ「言葉には霊力」があり、私達を一瞬にして天国にも黄泉の世界にも吹っ飛ばしてしまうカがあり、「心ここにあらず」といったことも少くなからずある。

私などはそれに輪を掛け、最近はいろんなことを無意識にやってしまい、一心不乱に頭の上に乗せたメガネを探しまわるコントのような時もある。

そんなことから、季節は秋冬に向かい、朝夕はめっきり涼しくなって、過ごしやすくなってきた。と同時に、湧き上がる食欲は寒い冬への準備なのか、最近は朝起きると何かうまいものが食いたくなる。そんな時は、目の前に好物が並んでいる店先に自分が突っ立っているような感覚や意識に襲われるが、そんな自分の意識や感覚に思わず吹き込んでしまう。

そんな感覚や意識に言葉の霊力が加わり、空中に彷徨う浮遊霊や動物霊や悪霊が取りついたら、それこそ厄介なので、朝方の清らかな感覚や意識を取り戻す為にも、正しい言葉遣いをしようと思う。

想い果てしなく尽きることはないが、想いに生きることもほどほどに、時には現実と臨場感を持って世間を見渡し、感覚や感情から離れることも大切ではないかと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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