意味なき日々の繰り返しとは言え、何かしらの目標を持って生きないと、自分の存在を証できないし、肯定感を持って生活を捉えることができなくなる。
確かに、この世は諸行無常、常に移り変わり不条理で不可思議である。しかも、自然界では安穏としていれば、周りから命を狙われ食べられてしまうわけで、まさに弱肉強食の世界と言える。
何事も思い通りにいかないし矛盾に満ちている。それでも気を取り直して生きていかねばならないわけで、その意味で人生は憂いと悲しみに満ちている。
時に、チャーリーチャップリンの舞台劇は、喜劇の中に人生の憂いがちりばめられていて、観客は笑いながら涙がそそられるものだったらしい。反対に、フランスのシャンソンは退廃的だが、退廃的な感情を共有することで「人生は憂いと悲しみに満ちている」ことを前提に肯定感を持って生活を捉えられるような気がする。その辺の感覚が、日本の演歌にあるかと問われると、わたし的には微妙である。
人生全て成り行き。基本的にどうにもならないわけだが、それでも少しでも良い方向に、理路整然でありたいと思うのが常である。
そんな中、今年はコロナのおかげで「巣ごもり状態」が続き、そろそろと思いきや、どうやら第3波が押し寄せているようで、クリスマスやお正月を楽しくやるには、しばらく様子見したほうが無難である。
そんなことから、私はこのところDIYに凝っていて、家の整理整頓、度重なる断捨離の末に、料理とお掃除と日曜大工が最近の日課となっている。
簡単に言うと、中学時代の技術家庭と言う科目があったが、保健体育や音楽や図工などといった科目の方が、国語や数学や理科社会より役に立つし実に楽しい。もっと真面目にやっておけばよかったと思う。
そんなわけで、今は日々日常ノミとカンナとノコギリで奮闘しているが、ウッドデッキや簡単なドアを作るとなるとやはり電動工具が必要になる。まぁ、5月にいただいた給付金がそっくり残っているので、購入しようと思うが、結構高額な上、やはり保管場所も必要になるので、その手の教室に通ってから購入する方が無難な気がする。
しかし、ここにコロナがまた出てくるわけで、この辺のところがうまくいかない。まぁ当分は、既存の大工道具で、コツコツやってみようと思うが、目標は離れのリフォームだが、幸いにも、頼りになる知り合いがいるので、時々専門家のアドバイスをいただきながらがんばってみようと思う。
それにしても、日に日に寒くなって、今年は柿が裏年で、あまり取れない上、例年より早く収穫が終わりになるらしい。柿はビタミンCの豊富なので、たくさん食べて元気になろうと思う次第である。