一年の世相を表す「今年の漢字」に「密」が選ばれ、京都市東山区の清水寺で14日、日本漢字能力検定協会(同区)が発表し、同寺の森清範貫主が本堂の舞台で大型の和紙に揮毫(きごう)した。
しかし、私が約半世紀前に学生時代を過ごした都会は、今ほど過密でなかったし、汚くもなかったし、もうちょっと品があったように思う。
コロナで田舎に引っ込み、当分都会に暮らす予定はないが、都会に暮らす孫や子供たちのことを思うと、頼りになるのは「お金」しかない都会の生活によく耐えて頑張っていると思う。
今はもう5歳になる下の孫が生まれて間もなく五反田のホームで娘と待ち合わせした時、抱っこ紐の中ですっかりお包みに包まれて私を見つめる孫の顔を思い出す。行き交う人の埃を吸わぬか心配になったが、なぜか私が子供の頃に母に連れられ渋谷の駅で感じた感覚が蘇った。
今考えれば、何を思って生きていたのか、恐れと不安の中に怯えて生きていたような気もする。
しかし、それにしても、何もない部屋に新調した石油コンロに暖を取りながら、一人静かに過ごす夕刻の時間は何ものにも代え難い。感謝しかない。
何もしなくていい。誰からも急かされない。恐れや不安から逃れ、夕刻のひと時を自分のためだけに、誰にも気兼ねなく時間が過ぎていく。感謝である。感謝しかない。
想いは果てしなく尽きることがない。明日のことは分からないが、愛と正義と勇気を信じて頑張ろうと思う。
それにしても、ご縁と言うものは妙なもので、学生の頃、確かキャノンの本社が池上線沿いにあって五反田から乗って通ったことがある。そんな想い出が残る地に、孫や子供たちが住んでいる。都会の路線とするとレトロだが、そんなレトロさが郷愁を誘う。誰も人の事など考えていられない。冬の夕暮れに、エノケンの歌が響き渡る。そんな日本に戻ってもらいたいと思う。