「モノには作り手の魂が宿る」と言われるが、料理なども素材の味を生かしてなるべく美味しく作ろうと思うと本当に苦労するわけで、出来上がった料理は料理人の魂が自ずと宿るような気がする。

それだから、うまい料理にはそれなりの値打ちがあるわけで、安かろうまずかろうといった食事をしていては、その意味も分からない。

まあ、今日の世の中は、大量生産大量消費の時代だから、ものに限らず使い捨て、私たちの労働も賃金から物件費にカテゴリー替えされ、誠に痛ましい状況にある。

そんな中、今日の貨幣経済や精神文化を支える価値観や世界観や宗教観は、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏によると、人間の虚構や幻想により形作られてきたもので、虚構や幻想こそが今日の人類の進化発展の源だと述べているが、確かに、何の変哲もない紙切れを皆んなが価値あるものと信じ込むことで、私達の貨幣経済が成り立っていることからして、その仮説に間違はないと思う。

そこで、もっと下世話に、私たちの生活を深掘りしてみると、仮に野菜を湯通してアクや毒を抜いたり、他の食材でも煮たり焼いたりすることで、そのものが持つ生命バリアを破壊して毒性を失わせることができることは、広く知られている。

また、私達は自分より大きく力が強い野獣に打ち勝つには、火を使い立ち向かって征服してきたことは確かで、火力を自由自在に使うことが、文化文明を進化発展させてきたと言える。そして、さらに、私たちの夢や望みや想いが源泉となり、創意工夫して、飛行機や船や自動車や、その他身の回りにある便利なものが生み出され、その延長上にいろんな今日的なサービスが生まれるに至ったものと思われる。

つまり、人類が野獣から進化できたのは、火を自在に使えたからで、今でも風水や家相において、魔除けや邪気払いに、灯明やお香を焚くことは、広く知られている。

その一方、最近は煙の立たないタバコもあるが、生理的な効果は同じでも、邪気払いになるかならぬかは疑問が残るが、もしかすると、タバコを吸うと気持ちが落ち着くのは、火による邪気払いにあるのかも知れない。

そんな訳で、世界は何といっても石油や石炭などの化石燃料や原子力といったエネルギーを手中に収めたものが優位に立ち支配している訳で、それが今や量子やプラズマといった新しい技術を用いることで、私たちの生活がグノーシス的に一変する時代を迎えていることはご案内の通りである。

さらに、様々なテクノロジーが進化することで、まさに以前は神の領域だったことが、科学的に証明されるようになると、まさにニーチェの「神は死んだ」の時代を迎える訳で、何事も恐れず現実を直視し、世間の常識や固定観念にとらわれず、強い自己肯定感を持って生き抜くことが、今日的な処世術になるのではないだろうか。

しかしながら、そんな時代になっても、やはりモノには作り手の霊魂が宿っていると考えた方が無難である。なぜなら、そう思えば、モノを丁寧に使うので、変な邪気に取り憑かれずに健全でいられるのかもしれないからである。

まあ、結局、これだけ科学文明が発達してきたのだから、「危ないものには近づかない」のが一番で、飲む打つ買うなどの一昔前のリスキーな道楽は、時代錯誤と切り捨て、できるだけ花鳥風月に勤しむ生活に切り替えていったらどうだろうか。

そんな想いに、コロナ禍の自分を振り返ると、以前とは全く違う生活環境や人との交わりになっていることに気づかされるわけで、人生の奥深さをつくづく痛感する。

そんな想いに、今日も山椒の木に舞うアゲハ蝶を友に、新たな出会いを信じて頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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