雨に思う

インフルエンザウイルスは、気温20℃以下、湿度20%程度を好む。逆に気温30℃、湿度50%を超える高温多湿な環境下では、ほとんど活動できないらしいが、同じ仲間のコロナウィルスは夏場の猛暑でも猛威を奮っている。それほど感染力が強いということになるが、期せずして、日本列島は秋の長雨を思わせる豪雨に連日見舞われ、かなり湿度も高いと思われる中、ワクチン接種も進んでいることから、そろそろ終息に向かうものと思いたい。

しかし、今日の状況は予断を許さない状況下にあり、万策尽きた感じもするが、その一方で、日本の経済は様々な緊急経済対策が功を奏しているのか、堅実に推移していて、それほど悪化していない。業種によっては増収増益の事業もあり、いつの世も生き残る術はあるものである。

まあ、今後の方向性としては、ワクチン接種の動向や緊急事態宣言などの発令を踏まえると、全体主義的な流れがグローバル化と一体化して強くなり、ますます地域性が薄れていく気がする。

なぜなら、オリンピックでしきりに強調された「多様性」と言うキャッチフレーズが、この先前面に押し出されると、国や地域の伝統や文化が根こそぎ「多様性」と言う言葉によって切り捨てられ、最終的には消滅してしまう気がするのである。

とにかく、今や「コロナ防止策」は「天下の宝刀」になってしまい、反論すれば異端児、村八分にされてしまう。ワクチン接種も個人の自由に任されているものの、業種や組織によっては半強制的なものになり、さらにワクチンパスポートなるものも発案され、施設利用や様々なサービスへの優遇措置も存在する。まあ、公共の場へのマスク着用義務くらいは許されるが、ワクチンパスポートなしでは公共サービスが受けられないとなると、それこそ中国の一党独裁政権と何ら変わらない。

まあ、社会はこれから新しいモラルやマナー、エチケットなとが構築され、新しいライフスタイルが定着していくものと思われるが、その中で、如何に全体主義的な流れや同調圧力から身を守り、健全な社会活動や生命活動を確保するかが、差別や偏見のない個性豊かな真の多様性を認め合う社会の課題と言えよう。

そんなことから、私たちは政府や新聞やテレビなどの情報を鵜呑みにしないで、常にアンチな方向や立場を模索する中、差異と多様性を真に尊重する立場をキープすべきである。

まあ、日本の社会は往々にして、集団や組織の論理が優先され、不本意ながらも集団に従う人が多く、時には従った仲間がやっかみから敵に回るケースもあり、日本人の集団指向的な性格がかえって仇となることもある。

そんな監視社会にならぬことを願うばかりだが、私的には、さしずめネット空間でのコミュニティーへの参加や仲間作りでもしようと思うが、最新サラウンドシステムで拝見するコンサートやレビューが、周囲のざわめきや雑音混じりの劇場で本物を拝見するのと比べ、臨場感や一体感において同じでも、作り物と本物との間には、予期せぬ出会いや会話などもあることから、つくづくつまらぬ社会になったものだと思う。

まあ、通販による買い物も最初は疑心暗鬼で始めたことを考えると、そんなことも定着すれば、当たり前になるかも知れないが、やはり現物や本物に実際に接するところに、お互いの波動やオーラの交換があり、貴重な体験や経験や想い出に結びつくわけで、今回の東京オリンピック競技が、画面越しに感動味の薄いものになってしまったことも理解し得る。

まあ、コロナがなければ、孫たちと品川辺りの沿道で聖火ランナーを応援しようと思っていたが、そんな思い出作りも皆んなオジャン、これが新しいスタイルの国際競技仕様だとしたら、やはりもうちょっと工夫がいるように思う。

そんな訳で、今日の解体作業は、2階の屋根瓦を降ろす予定だったが、早朝より雨が止まなかったので、大きなコンテナトラックを横付けして、撤去瓦を投げ入れる予定で、お昼ごろ職人さんが見えたが、コンテナトラックの手配が間に合わず、明日に繰り越された。作業自体は半日仕事なので、誠に残念である。

怪我をしないように注意しながら、明日お手伝いできる作業は、お手伝いしたいと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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