行動

「努力するものは夢を語り、怠けるものは不満を語る」とは井上靖の名言だが、確かに不平、不満、愚痴、泣言ばかり溢していると、夢や希望から遠のくし、実際に実践し行動しない限り夢や希望は生まれない。まずは行動し実践すれば、過ちや失敗から苦しみや悲しみもあるが、その数だけ喜びや楽しみもあるから、日々日常が豊かになり実りある毎日が送れると思う。

しかし、頭の良い人にありがちだが、考えてばかりいて行動しない人は、功利主義的な発想から、欲得や利得にばかり目敏くなって、それに今日的な物質至上主義や貨幣経済システムの功罪が加わると、益々思考オンリーになって、さらに所詮人生は限られた資源を奪い合う椅子取りゲームみたいなところもあるから、臆病神や貧乏神に取り憑かれ、多くのチャンスを見過ごし、不安や不信や恐ればかりが募って、陰鬱な日々を送ることになるのではないだろうか。

まあ、同じことをしても、損得抜きでするのとしないとでは雲泥の差があり、毎日を楽しく喜びを持って生きるには、必要以上の利得は百害あって一利なしである。

時には、敢えて「ダメ元覚悟」で挑戦してみるのも楽しいもので、うまくいくと喜びが半端じゃない。

まあ、損得を離れれば、それこそ、楽しいことがこの世にはいっぱいあり、何から手をつけていいか分からないほど人生は豊かである。しかし、そこに、ひとたび利得や効率と言った損得勘定を持ち込むと、すべてが金銭価値に換算されてしまい、まるでバーゲンセールの食材や食品で腹を満たすように、根源的な興味や楽しみや喜びが削がれてしまうから不思議である。

また、人生は食べ物と一緒で「旬」が第一、必要な時に必要なものが満たされてこそ、本当の楽しみや喜びを知る訳で、その日の体調や感情に素直になって、周りの生活環境と一体となって生活することが、そんな豊かな生活を支える秘訣ではないかと思う。なぜなら、私達の生命活動は、周囲の空気や明るさや湿気や匂いなどと密接に関係しているからである。皮肉にも現代人はそんな大切なことを忘れ、常識や社会通念や人の意向や評価を第一に生活している訳で、頭のいい人ほど、臨場感の薄い妄想や虚構に取り憑かれて生きている気がする。

仮に食材を例に上げると、旬のものは物がよく安くて美味しいし、先日も椎茸を和風に炒めて食べたが、カミさんからリクエストが来るほど好評だった。正に作り手冥利に尽きる訳で、旬の食材をいっぱい使って、いろんな料理に挑戦したくなる。つまり、夢や希望が生まれ、目標が一つ生まれることになる。

まあ、欲得や利得に目敏いオバタリアン的な発想や世俗の価値基準や世界観を捨て、もっと素直になって自分や世間は眺めれば、路端に咲く1輪の花のように、凛とした自尊自立の存在になれるような気がするのである。

そんな想いの中、今日は雨だったので、料理と部屋の片付けに終始し、厳しい冬の寒さに備え、電気毛布や電気ヒーターなどの暖房器具の整備をした。

想いは果てしなく尽きることがない。10月も既に中旬、時の流れに唖然とする現実に、ゆっくりゆったりと自分の半生を振り返る幸せに、感謝しかない。

階下に裏庭越しに見下ろせば、離れの屋根も昭和の荒屋にしてはそれなり綺麗に見え、我ながら大満足、シール材入りのペンキは塗り難かったが、苦労した甲斐があった。高所の壁面はいろいろ考えあぐねた結果、長目の棒に刷毛を巻き付け脚立に跨り塗っている光景は、物見珍しさから、通りすがりの近所の奥さん方との会話も盛り上がり、晩節の楽しい想い出話しとして記憶に刻まれた。

過ぎ去ればすべてに意味を失う儚さは、死によって完遂する。果てしない想いに、いま此処にあることを心から感謝したい。

それにしても、愛は幻想かも知れないが、永遠の憧れ、夢、希望である。生命ある限り、その意味を問い続けていこうと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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