高齢になると体温調整がうまくいかなくなるようで、敏感に暑さ寒さを感じなくなる。部屋に居ても熱中症になることもあるから注意を要する。また、足元がフラつかなくても、其処ら中の物に躓いたり、腕や肩をぶつけたりするのは、平衡感覚や距離感が衰えてくるからだと思う。
時に癇癪を起こして、痛い目にあった物に八つ当たりして蹴飛ばしたりするが、とにかく物はできるだけ少なくするのがいいように思う。
そんなことから、私は不要な物は徹底して処分しているが、普段就寝している部屋も簡素なベッドと藤の椅子とタンスを残して、すべて廃棄した。お掃除も至って簡単となり実に快適いつも埃なしで気持ちがいい。
ところで、今日は月に一度の瓦礫の収集日なので、朝日を浴びながら瓦礫をまとめていたら、蚊取り線香なしだったせいか、薮蚊の集中攻撃にあい、あちこち刺されて敢えなく惨敗、痒くて痒くて仕方がない。
そんな1日の始まりだが、廊下に出て窓越しに昨日植えつけた畑のカボチャと九条ネギの様子を伺うと、朝日を浴びて極めて順調、イキイキしている。嬉しい。喜びが沸いてきて、今日も張り切っていける。感謝したい。
しかし、やるたいことは山ほどあるのに、遅々として進まないのが悲しい。手順や段取りに問題があると思うが、とにかく畑作は時期が勝負だから割り込み自在で手順が狂う。困ったものである。
そんな中、今日は簡単な屋内配線をする予定だが、昨日夕刻にアマゾンからVVFケーブルが届いたのはいいが、ケーブルを固定するケーブルクランプや絶縁ステープルを買い忘れた。困ったものである。ホームセンターに買いにいかねば、ことは始まらない。
趣味遊びだから通るが、これが仕事ならアウトである。いつでもいい、そんな気の弛みに慣れ子の虎で、困ったものである。これで、昼の料理に手間を掛けたら、明日へ持ち越しとなる訳だが、早急にやらねばならぬのは秋ジャガイモの畝作りで、雑草に被われた畑を見るにつけ、雑草対策の遅れが悔やまれる。
まあ、物事は何事も旬が大事、時に私は「瞬彩」なる感覚が好みで、昨日妻と回転寿司に行った際、向こうの客席で食事していた高齢のご婦人が余りにも老けて見えたので、不用意にも「あの二人にも青春があったのかなあ…」とつい口走ってしまったが、それを聞いた妻がチラ見して、笑いながら「二人ともご主人がいないような感じね。」と言ったが、そこで、「明日のわが身」などと言ったら、ことは大変なことになる。
「口は災いのもと」要らぬ「恨み妬みや嫉み」を招き兼ねない。とにかく、人間は理性以上に感情で生きている訳で、そんなことから、常日頃「感覚や感性や感情」を大切に、身なり服装には気をつけて、常に清潔に心豊かに過ごしたいと思う次第である。
今あることに感謝したい。