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母の生家があった街を時折り歩いてみるが、生家の跡にはマンションが立っていて、駐車場の縁石の一部には生家の敷石が使われている。母が生前によく話してくれた子供の頃のお不動さんの縁日の話しなどが、必ずと言っていいほど、この新宿淀橋に通じる「水道道路」を通ると思い出す。
戦争で家が焼かれめちゃくちゃになった母のことを思うと、母の想いに添えなかった自分の不甲斐なさが悔やまれるが、正に無知無明、無知蒙昧の為せる業、改めて人の一生は孤独で儚いことを痛感する。
そんな儚さに寄り添うような梅雨空に、死ねば誰の口に上ることもなく、すべてが忘れ去られてしまく現実に、未だに自分を写す鏡が見つからないのが悲しい。
そんな想いを人や事物にぶつけても、気休めや気晴らしにはなっても何の解決にもならない。寧ろ周りに危害を与え生き恥を晒すだけである。
而して、畑の作男として閑居するも、想いは果てしなく尽きることがなく、正に「われ山に向かいて目を上ぐ、わが助けはいずこより来たるか」と… 人生一日の如く、周りは何もかも変わってしまったが、そんな想いは若かりし時と寸府も変わらない。
改めて、今あることに感謝したい。