The road to hell is paved with good intentions. (地獄への道は善意で敷き詰められている)と言う言葉があるが、善意や正義を振りかざす人ほど利己的な人間はいないとも言われ、未だに自分自身を写し出す鏡が見当たらない私としては、妙に納得できる言葉である。

確かに、自分が知り得た限られた知識や経験で正義や善意を語るのは、おこがましく愚かなことである。自分の行動規範とするならまだしも、人に押し付けては傍迷惑だし罪になる。

なぜなら、私達が持ち得る善意や正義の前提となる知恵や知識や経験は、父母の教えや教育や社会通念や常識に始まり、単なる一世代の所産に過ぎないからで、不完全極まりなく、よって立つ理性や知性ほど当てにならないものはないからである。

そんなことから、時には道徳や社会通念や常識から掛け離れた感覚や感性の方が的を得ているケースもあり、感情や情動を一方的に押し殺すのも考えものである。

さらに、今の社会は、基本的に弱肉強食、力としての武力やお金、権力や権威や法律、正義や善意などから秩序立てられており、ある意味において時代の成り行きでもあるからして、真実でも普遍的な真理でも価値観でもないからである。

つまり、私達が暮らす世界や社会は、私達人間が創り上げた虚構や虚像の所産であり、夢や幻、妄想や幻想に他ならないのである。

そんなことから、信じて疑わぬ愛も、時には足枷や頸城となり、時には依存や支配となり、癒しや安らぎ、信用や信頼、親切心や思い遣りも時にはお節介となり、愛も悪徳や罪にもなり得る訳で、愛を形にすることの難しさを痛感する。

そんな訳で、難しいことはさておき、未だに自分を写し出す鏡が見当たらない私としては、今日もその場の色気と食い気に、愛と正義と勇気を探し、自分なりに自分を信じて頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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