死ねばどんなことでもご赦免、怨みつらみ、罪科から借金まで、すべてが精算され、悪人も仏になる。
まあ、やりたい放題、したい放題、道楽の限りを尽くし、禍根を残すどころでは済まされない程のでたらめな生涯を送った人でも、死ねば寂しいもので、時によっては、その魂の喘ぎとも思える生き様には、無知無明の為せる業、深いものがある。
まあ、事実や現実だけを追えば、単純なことだが、そこに至るプロセスは、人それぞれ、かなりの紆余曲折があり、同じことでも同じではない。
そんなことから、本音や建前が織りなす私達の日常は、正に因縁揃って実体がない諸法無我、色即是空、空なるものの掻き集めで、真実とはほど遠い。
しかし、そんな中にあっても、ものごとには、始まりと終わりがある訳で、ものごとは終わらなくては始まらない。
つまり、始まることより終わることの方が大事 で、終わりを意識するで、新たな営みが始まる。
そんなことで、今日は1年近くお互いの都合でほったらかしていたことが、先方の都合で一挙に解決し、何か目の前のモヤモヤ感が一挙に吹っ飛んだ感覚に、帰りの信号待ちの自転車からの風景が、違って見えるから不思議である。
まあ、ある種の達成感にも似た感覚には、やはり、人生にはケジメが大切、ケジメは惰性やマンネリを排除し打破し、メリハリあるフレッシュな生活をもたらすことを改めて痛感した。
まあ、けじめのつけ方は、人それぞれ、神社仏閣に参拝したり、旅に出たり、新たな趣味を始めたり、千差万別だが、私的にはコロナをきっかけに、毎日のお掃除や身辺整理が一役買っている。この2年いろんなことが一挙に解決し、かなり身軽になったのも、そんな身近なケジメによるところが大きい。
そんな訳で、今日は久々に心地よい達成感と脱力感を味わったが、残るは自作小屋の造作である。何とか年内中に片付け、新たな気持ちで新年を迎えたい。
想えば、昨年のお正月は、愛犬のJanianとお城で新年のV log撮りをしたことが想い起こされるが、3匹のワンちゃん達も、いつの間にか居なくなってしまい寂しさが募る。
そんな想いから窓辺に目をやれば、お彼岸の頃よりかなり北寄りに月が大きく白く輝き、揺らぐ想いに眠れぬ夜が予感される。
終われば、また何かが始まる。それも既にあったことである。意味なき人生だが、今あることに感謝したい。
世界は広い。けじめをつけて明日も頑張ろうと思う。すべてに感謝したい。