今日は表通りの事務所の雨水管の詰まりをワイヤーパイプクリーナーで取り除いてみたが道路の雨水渠まで10m以上も地下に埋まっている雨水管なのでしっかり目詰まりを解消できたのかワイヤー越しに感覚が伝わってこない。しかし、ホースで水を注ぐと溢れてこないから、取り敢えず屋根からのパイプを接続してみたが、何となくさっぱりしない。
雨水管はクルマの車輪が通る下に埋まっているので中途半端にはしておけない。そんなことから取り敢えず繋げて埋め戻しすることにした。
それで、掘り起こした土を元に戻していると、幸か不幸か雨が降り出し夜に向け結構な雨量になったが、傘をさしてわざわざ見に行く気にもなれず、どうでもよくなって結局は夕飯を食べて炬燵に転がっている内に目が覚めたら夜半過ぎ、このブログを書いている。
それにしても、今年もはや3月を迎え、本格的な春を迎える。しかし、畑作も4年目になると新規性が乏しく血肉が踊る感覚がない。惰性やマンネリとは言わないが、おおよそ流れが予想できるからで、被写体に夢を追うようなところがない。そんなことだから、今年は作付けを絞って、 コロナ前の生活に戻し、新たな目線でストリートフォトや観劇を楽しもうと思う。
人は想いに生きる。やはり、人間はリアリティーだけには生きられない生き物である。改めて、バーチャルなリアリティーに晩節の夢を託してみようと思う次第である。