季節

昨日で松の内も終わり、今日は寒の内の真っ只中、1月には小寒や大寒がある。2月の節分を終わると立春であり、3月から4月かけては梅が咲き桜が咲き、5月の連休には、ポカポカ陽気に春を謳歌し、6月の夏至を過ぎると本格的な夏がやってくる。

年が明け、まだお正月や仕事始めの余韻が覚めやらぬ中、春のポカポカ陽気や夏の湘南の浜辺が思い起こされる。

お花見なども、ついこの間、飛鳥山や目黒川に出掛けて行ったような気がするが、もう3ヶ月もすれば、同じようなシーズンを迎える訳で、今年は何処でストリート・フォトするのだろうか。

そんな想いが次から次へと沸き起こり、果てしなく広がっていく。今年もそんなイメージに遊びながら、臨場感を持って頑張ろうと思う次第である。

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新春に思う

お正月の松の内も今日で終わるが、なかなかお屠蘇気分が抜けない。まあ、そうは言っても、私だけは自分が予定を組まない限り、まだお正月でいいのだが、孫や子供や妻たちは、保育園や学校や仕事にそれぞれ出掛けていくので、隠居の身とは言え安穏としてはいられない。

そんなことから、私はとにかく今年は健康管理に努め、家族に迷惑を掛けないように、毎日規則正しい生活をしようと思うが、幸いにも昨年の秋頃から始めたストレッチも、お正月中はちょつとさぼってしまったが、何とか続いており、趣味のストリート・フォトも社会探訪を兼ね結構街中を歩くので、これと言った運動をしなくてもいいような気がする訳で、とにかくマイペースで焦らずゆとりを持って、身近な人たちと楽しく今年もやっていこうと思う。

そんな年初めであるが、ご案内のように、世間は昨年暮れの12月20日に日本海のEEZ海域(排他的経済水域内)で、韓国海軍の駆逐艦「広開土大王(クァンゲト・デワンDDH-971)」が、日本の海上自衛隊のP-1哨戒機に対して火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射した事件が、持ち切りで何ともシックリしない。

まあ、いつものことながら、韓国側は事実に反する嘘の上塗りから子供騙しの説明をしている内に、逆ギレして謝罪を求める事態に発展しており、慰安婦や徴用工問題も含め、日系企業の資産差押えなども取り沙汰される事態となり、日韓の主張が激しくぶつかり合い、日韓関係は泥沼化の様相を呈している。

まあ、一連の流れをみると、とにかく気が合わない国民同士なのは確かであり、これ以上話し合っても妥協点は見い出せそうもないから、ことを荒立てずに当たらず障らず、そっと自然に離れて行くしかないように思う。

この件については、元自衛隊航空幕僚長の田母神俊雄氏がツイッターで、日本政府の過剰反応や外交問題化しつつある情勢に、専門家として冷ややかなコメントを残しているが、まあ、何事も争って得することはないから、田母神氏のご意見も、立場を超えた見解として尊重する必要があると思う。

しかしながら、一連のやり取りを見る限り、韓国の不実は今に始まったことではなく、福沢諭吉の「脱亜論(明治18年3月26日)」には、次のような記述がある。

《我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。》(「脱亜論」明治十八年三月十六日)。

この近隣にある「二国」は、《その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず……教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し》

つまり、この記述からすると、韓国や中国とおつき合いするなら、最初から心してつき合わないととんでもないことになることは確かである。

まあ、思い込みや既成概念から、不必要な差別や偏見はいけないが、中国と韓国は隣国にも拘らず、確かに欧米諸国や日本の価値観や世界観とは一線を画するものがあり、国際ルールやマナーやエチケットが通じないばかりか、民族的にも感覚や感性もかなり違い、ロシアの方が遥かに親近感を覚える。

まあ、生粋の日本人は、義理人情に厚く、正義を誉れとし、お金や権力に屈せず、自分の立場を離れてものごとを公平に見れる民度が高い国民性を持ち合わせており、そんな視点に立てば、中国や朝鮮の民族は全く異質な存在であり、日産のゴーン会長のような人物もコストカッターとしては適任だが、日本の会社のCEOとしては不適格な人種だと思う。

そんな訳で、今年は新生「日本」の幕開けの年である。私達も当事者意識を持って、お隣韓国や中国の動向を反面教師として、日々日常の生活を見直し活かしていけたらいいのではないかと思う次第である。

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駅伝に思う

「敗軍の将、兵を語らず」と言う諺がある。 戦いに敗れたものは、 戦いの経緯や武勇について、語る立場にないと言う意味から、失敗した者が弁解がましく発言したりするものではないという戒めである。

確かに敗因を語れば、弁解がましくなり話せば後味が悪い。聞いた方も「残念だったね。次回頑張って!」としか言いようがない。多くを語ることはタブーであり美しくない。

そんな風に思ったのは、箱根駅伝で5連覇を成し得なかった青学の原晋(すすむ)監督が、メディアにちょっと出過ぎではないかと思ったからで、メディアも、原監督などより、優勝した東海大の両角速(はやし)監督をひっぱり出して勝因を語ってもらった方がいいように思う。

まあ、それだけ青学の復路の猛追がドラマだったとも言えるが、それにしても、往路の4区5区の失速は想定外で、何事も伏兵は潜んでいるものである。

ところで、 メディアによると、原監督はTwitter を始めたそうで、フォロワー55万人を目指していると言うから驚きである。まあ、最近は講演会やマスメディアから「ひっぱりだこ」で、場慣れし、タレントになってしまっている節も伺えるが、時代に則した大会運営の一翼を担うものとなればいいようにも思う。

まあ、アメリカのトランプ大統領も Twitter で短文を世界発言する時代である。「敗軍の将、兵を語らず」では、もはや時代遅れなのだろう。

まあ、言っても言わなくても、あっという間に情報が掻き集められ、プライバシーなど無きに等しいので、変な憶測や中傷を拡散されるより、積極的に情報を発信していく方が、世間から賛同を得られるかもしれないからである。

まあ、「火のない所に煙は立たぬ」どころか、「火のない所にも煙が立つ」訳で、そんなガスネタを鵜呑みにしてもうまくないし、まあ、毎日がエイプリルフールと思っていれば間違いないが、私達が日頃参考にしているWikipediaさえも、良からぬ分子によって書き換えられていると言うから油断できない。

そんなことから、世間から正しい認知を得るためにも、情報は自ら発信していく必要がある。それに、自ら情報を発信するとなると、普通の人間なら自分の言葉に責任を持つようになるから、そんなことも、まともな社会を形成することにつながるものと思う。

しかしながら、中には知名度が上がれば、欲得に目が眩みタレント化して体制擁護に回ってしまう人もいる訳で、そんなみっともない生き様を世間に晒さぬよう、少なくとも、リーダーやエリートたるものは、何事にも、日本人の心意気と礼節を示し、自分の立場を離れ、ものごとを公平に見られる人間であってほしいと思う。

そんな想いに、来期は「東海大一強」と目される箱根駅伝に、母校青学のさらなる健闘を期待する次第である。

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地方創生

ご案内のように、お正月にはラグビーやサッカーなどの競技試合が行われるが、箱根駅伝ほど人気のある競技も珍しい。その知名度は高校野球(甲子園)と並び群を抜いており、学校名や所在地を世間を知らしめるには、これほど強力なツールはない。

もちろん、そんなことは二次的な産物に過ぎないが、大都市に人口が集中し、地方都市には人口減少を食い止める有効な手段がない今日、豊かな自然環境を活用して、スポーツなどの学習環境を整備し、それを糸口に、子育てや介護に優しい地方都市を模索してもいいような気がする。

そんな視点から、郷里の山梨学院大の競技歴を追ってみると、 山梨学院大は順天堂大学出身で箱根ランナーだった上田誠仁監督に率いられ、1987年(昭和62年)の第62回大会に初出場し、都会の強豪校や伝統校と渡り合いながら、3度の総合優勝を果たす中、二度の途中棄権によるシート権落ちにも予選会を勝ち抜いて出場し、初戦から一度も襷を途絶えさせることなく戦い抜いている。

連続出場回数は今大会参加チームの中で4番目に長く、箱根駅伝への注目度が高まる中、出場を目指す大学も増え、今大会に出場した中央学院大、国学院大学、城西大、上武大、東京国際大、帝京大などは、山梨学院大より後にエントリーした新興勢力である。

そんなことから、最近は有力選手の獲得が、都会の伝統校や強豪校に比べ、施設やコーチ面でのサポートや卒業後の就職先まで考え合わせると、地方大学はかなりのハンディを背負っていることは、否めない事実である。

そんなことから、交換留学生の活躍が期待される訳だが、山梨学院大学は、箱根駅伝を通して、同県の国立山梨大学より全国的に知名度がある訳で、郷土山梨を世間にアピールした功績は大きい。

一方、今日の大学は、基礎研究はもちろんだが、実際の生活に役立つ実利的な研究開発も行われており、いろんな産品が民間企業とのコラボで産み出されていることはご案内の通りである。

そんなことから、地方都市の消滅が危惧される中、入管法の改正や地域産業の開発なども含め、いろんな視点から、箱根駅伝を先例として地方創生の糸口を探ってみたらどうかと思う次第である。

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箱根駅伝

今年の箱根駅伝は、母校の青学が鶴見から小田原に抜ける第4区で、まさかの失速、往路6位となり、史上3校目5連覇に暗雲が立ち込める展開となってしまい、一時は意気消沈してしまったが、それでも復路は5時間23分49秒と大会新記録で復路優勝し2位に食い込んだのは大したものである。

さすがに、青学の選手層の厚さがものを言ったレース展開であったが、優勝した東海大は創部47年にして、悲願の優勝を果たした訳で、栄誉を讃えたい。

ところで、原晋監督は4区を甘く見ていたと采配ミスを認める一方、チーム全体の強化については間違いはなかったが、去年と同じことをやれば優勝できると保険をかけてしまい、進化することを止めた時点で、退化が始まるとも語っている。

その一方、郷里の山梨学院大学は、エース·ニャロイが不在のまま、今年は何と23校中22位(繰り上げスタート)と振るわず、このところの成績からすると、進化せずに退化してしまった感がある。

ひところのオツオリやマヤカやモグスと言った交換留学生の活躍が思い起こされるが、留学生の起用には、賛否両論いろいろ揶揄されるところもあるが、上田監督は都会の大学とのハンディをよく乗り越えてやっていると思う。地方都市が衰退する中、今後の再起を期待したいと思う。

そんな今年の箱根駅伝であったが、今年は昨年来から計画していた駅伝コース沿いでの応援を、当初は馬込に近い第一京浜沿いでしようと思っていたが、校友のパンフレットによるとコース上に応援ポイントが決まっていて、それなりにルールもあるようなので、馬込から地下鉄で一直線で行ける増上寺·芝公園が便利なので、そこに決め、早起きしゆっくり朝風呂で温まり、寒さ対策をバッチリして出掛けた次第である。

現地には7時頃になってしまったが、6時半頃から校友サポーターが準備していて、幟旗が既に沿道に並べられていた。事務局にご挨拶に行くと、応援サポーターはフレッシュ·グリーンの応援ロゴ入りのアウターや帽子やマフラーや応援手袋やメガホン、代表はロゴ入りのリックを背負う出立ちの念の入れようで、その熱意には恐れ入った。

皆さんは私と同じ団塊の世代の方が多く、卒業年度を告げると当時の四方山話に花が咲き、駅伝コースのガイドブックと注意書きを私に手渡しながら、私達の話を聞く校友OGの顔立ちには、若き日の面影が伺え、年相応の落着きと美しさを感じた次第である。

そんなことで、幟旗を引っ提げての応援は、ほんの一瞬で終わってしまったが、手間暇を考えると全く間尺に合わない事とは言え、応援を通して得たものは大きい。サポーターの皆さんとは、来期を約束して別れたが、野球やサッカーの応援とは一味違う出会いと感動があり、無条件に楽しかった。

我が母校の再起を期し、今年一年選手になったつもりで私も精進しようと思うが、原監督の言葉ではないが、毎年同じことをしていてはダメである。人生の大敵は、マンネリと惰性である。挑戦をやめ保険をかけた時点で、私達は心の張りを失い、若さや輝きや進歩さえも失うことになる。

そんなことを肝に銘じ、私的には出来る範囲で、いろんなことに挑戦して、実りある一年にしていきたいと思う次第である。

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謹賀新年

松の内は、元旦のご挨拶を先頭掲載しています。2日以降の記事は、新年のご挨拶の後に掲載しています。

新年明けまして、おめでとうございます。
輝かしい新春を迎え、皆様方には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
昨年中は、何かとお世話になり、心より感謝する次第です。
さて、今年は十二支の己亥(つちのとい きがい)に当たり、本暦の運気が高まる一方「現状を維持し守りに徹する年」と言われておりますことから、亥のように猪突猛進することなく、何事にも慎重を期して、実りある一年にして参りたいと思っております。
つきましては、今年もこれまでと変わらぬ親密なるご厚誼を賜り、日々の想いを共にしていただきますよう、衷心よりお願い申し上げます。
新春の陽光に向かい、皆さま方のさらなるご活躍とご多幸を、心よりお祈り申し上げる次第です。

最近は何事にも手間取るようになり、年の瀬の慌ただしい中での年賀状の手配も儘なりません。それで、今年は、誠にご無礼千万でございますが、年賀状にてのご挨拶は控えさせていただきました。
これからは、メールや電話などで、ご連絡させていただきたく存じますので、今までと変わらぬご厚誼を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

なお、年明けの動画は、こちらからご覧ください。

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発信

慰安婦、徴用工、レーダー照射や竹島などを巡り、日韓関係の溝は深まるばかり、とにかく、嘘偽りやまやかしや誤魔化し、怨み辛みの話しばかりで、呆れ果てる。特に史実にない反日教育には眼を見張るものがあり、正に「嘘も3回言えば本当になる」のお手本である。

極東アジアの平和を共に守る同盟国として、どう考えてみても相応しくない存在で、このグローバルな時代に、これほどまでに自国のプロパガンダに操られ自浄能力のない国民も珍しい。

まあ、正義感が強く、義理人情に厚く、欲得や利得でなく「誉れと誇り」に生きる生粋の日本人と比べると、月とスッポン、雲泥の差がある訳で、品格や品性はお金では買えぬものがある。

まあ、儲かりさえすれば、師匠の頭越しに取り引きするのは当たり前、大きくなれば、商売仇となって、潰しに掛かるモラルなき国民性は、到底日本人にはあり得ない大陸譲りの特性だが、それに輪を掛け「嘘と虚栄」を分厚くコーティングする意図は、何処にあるのだろう。

今の時代、信義を尊び、正義感と義理人情を、何よりも大切に品格や品性に生きる日本人が稀有な存在なのかも知れないが、諸外国の発信や挑発に黙りを決め、お人好しをしていると、竹島の事例ではないが、スキを突かれて亡国の憂き目を味わうことになるかも知れない。

まあ、近頃は「不言実行」と言う言葉は死後に近いが、仮に「有言実行」であっても、行為や行動、つまりアクションを起こすことが大切で、それには、レーザービームではないが、何らかの意志表示を周りに示すことが必要不可欠であって、何事も「想いを叶える」には、まず第一に「想いを言葉にする」必要がある。

だから、YES or NO はハッキリ言うべきで、実効支配されている竹島などを取り戻すには、今となっては武力行使しかないと思う。

動画にもあるが、今日の沖縄の沖合いは、地元の漁師が漁に出掛けられないほど、中国などの外国の船に占領されている訳で、なぜ日本のマスコミやマスメディアは、事実を報道しないのか不思議である。

まあ、反論や反証しない限り、正論となることは、慰安婦問題や徴用工問題が既に実例となっており、如何に「意思表示」することが、グローバル化した国際社会では大切なことであり、日本のジャーナリズムがその域に達していないことが悲しい。

まあ、普段の生活でも、今の時代は、黙っていては認めたことになってしまう訳で、かってのビールのCM「男は黙ってサッポロビール」ではダメで、気の利いたギャグくらいは持ち合わせていないと、好きな女にも振り向いてもらえない時代なのである。

また、女性にしても、お化粧や髪型や服装なども大切だが、それ以上に、自分の気持ちを伝える言葉を磨くことが必要で、言葉や会話術は自分好みの伴侶を得る必須アイテムだと思う。

そして、さらに言えば、外見ばかりが先行する「見た目社会」だからこそ、真なる差別や偏見からの開放は、やはり「言葉」によるのではないかと思う。

つまり、言葉こそ、性別や性差、人種や民族や国、政治や宗教、風俗や習慣、伝統や文化、文明の垣根を乗り越えるツールであり、私達が自分のアイデンティティを外に示すべき最強のアイテムなのだから、黙りを決め込まないで、もっと自分の想いを勇気を持って発信していくべきではないかと思う。

「求めよさらば与えられん」、大恋愛も最初の一言から始まる。所詮、死ねば全てが終わり、忘れ去られ、まさに The End な訳で、そんなことから、私的には、結べぬ絆に固執するより、前向きに新たな出会いを信じて、自分の想いを発信していく方が、神仏の御心に叶っているのではないかと思う。

そんな思いに、来年は一つ、動画にある我那覇真子(がなはまさこ)氏の演説を聴きにいこうと思うが、御世辞を言う人は数しれぬが、やはり真実を語る人の目は美しい。そんな瞳に、来年は願わくば肖り、元気を貰おうと思う次第である。

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年忘れ

今年も残り僅か、年忘れ全開にて、全てを忘れて楽しもう。笑う門には福来る。全てに感謝したいと思う。

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motal

死すべきものに、愛は希望となり得るのだろうか?単なる成り行きに過ぎないのではないだろうか。

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クリスマス

昨夜はクリスマス・イブなのに、首筋が痛み、うつ伏せ寝したところ直ぐに痛みはとれたものの、ドックンドックンと鈍く響く心臓の鼓動を改めて身体全体で感じた。

産まれて此の方、誰に頼まれた訳でもなく、私のために68年間一刻足りとも休まず心臓は脈打っている訳で、いつ止まるのか俄に不安になった。

恐らく止まる日も産まれた時のように決まっているのだろうが、68年間一つの役割に徹して動き続ける心臓のメカニズムは正に驚異であり、仮に1分間70回鼓動したとすれば、1日100,800回 1ヶ月3,024,000回 1年36,288,000回 68年間では何と2,467,584,000回鼓動している訳で、電卓で同じ数字を何回も打てば直ぐに何回打ったか分からなくなるピンボケ老人をよくここまで支えてくれたかと思うと、その誠実さにはただ只管感服感謝するしかない。

まあ、信じて疑わずして一筋ひと道に進む尊さを改めて感じた訳で、変化と多様性の中に、変わらざるを得ない私としては、羨ましいやら恥ずかしいやら、チョット複雑な思いがした。

まあ、時代の要請や社会の同調圧力に疑問を感じながらも屈し、足並みを揃えてきた私としては、とにかく一筋に信じて生きることが出来なくなってきた訳で、聖書や仏典の教えも日々日常の中で活かし切れない。とにかく何をやっても中途半端で情けない。

まあ、本物の神仏なら、信じるに値し、その報酬は余りあるものと思われるが、この歳をして未だに踏み切れないものがある。それは、宗教によっては人間を支配するために、人間が創り出した宗教もあるからで、戦没者の慰霊を祀った神社は、靖国神社だけではなく、大坂の陣で戦死した豊臣勢の慰霊を祀った豊国神社は、徳川幕府の影響力を弱めるために明治政府によって全国に建立された神社で、そんな意図で建てられた神社に参拝してご利益があるかどうか疑問である。

まあ、宗教は社会制度と同じで、本筋は正しくも、運用を間違えれば、毒や害になる訳で、戦後の混乱期に乗じて人心に浸透していった新興宗教は数知れず、創価学会や立正佼成会などもその類である。しかし、だからと言って一概に否定されるものではないが、人間が人間のために創り上げた宗教には限界があり、私達が本当に必要とするものを与えてくださるものか疑問が残る。

そんな訳で、クリスマスの夜に、これも何かの予兆である。外なる事象に気を配りながらも、内なる真我に従い、改めて聖書や仏典の教えに立ち帰り、今年一年を振り返って、明日への励みにしようと思う次第である。

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