令和


恐らく万葉時代は、こんな風に生きていたのではないだろうか。万葉の恋歌の世界が花開く「令和」になって、女性が不当な偏見や差別から、また子育てや介護からも解放され、もっと自由に生きられる社会になればいい。

なぜなら、そうなれば男も女もお仕着せでない本当の愛に生きられるし、本当の愛に生きなければ、生きる意味がないからである。

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令和

人は想いに生きる。

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平成

平成もあっけなく終わってしまうが、30年を振り返ってみると、本当にいろんな人達に支えられ、何とか信用と信頼を損なわずにやってこれて良かったと思う。改めて、日本の伝統と文化の中に生かされ、つくづく信用と信頼、誠意と誠実さに生きる意味を痛感する。

特に最近は急速に進むグローバル化の流れに、日本の伝統や文化が失われる一方、反対に見直される動きもあって、私達の伝統と文化に深く紐付く皇室の権威には、紆余曲折、諸事諸説があっても、畏れ多く何人も侵すことのできぬ日本民族の総意を示す何かがあるような気がする。

東西の伝統や文化、価値観や世界観や宗教観が激しくぶつかり合う混乱の時代を迎え、政治や宗教、倫理や哲学や法律、多種多様に亘る経済金融システムや社会制度や社会インフラなど、私達の生活を支える社会システムのあらゆる権威が地に堕ち、なかなか合意点や妥協点を見出せない中、神聖で絶対なる皇室の権威が、日本の安寧と私達の幸せを不動のものとし、これからも全ての難題難問に一定の方向性を導き出してくれるものと心から願う次第である。

そんな想いに、ただひたすら、平成の時代に生かされ、今ここにあることに心から感謝し、残る余生は皇室の権威を鏡として、夢と希望を持って頑張ろうと思う。

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なりゆき

全て成り行き。過ぎ去れば意味を失う。

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アセクシュアル


LGBTやSOGI(どの性別を好きになるか、ならないかを表す「性的指向 Sexual Orientation 」や、自分の性別をどう認識しているかを表す「性自認 Gender Identity 」の頭文字を取った言葉)は聞いたことがあるが、Asexual(アセクシュアル)は、恋愛や性的指向を表すスペクトラムの中でも、取り上げられることが少ない概念で、アセクシュアルを自認する人は、恋愛感情やプラトニックな愛情を抱くことはあっても、相手に対して性的欲求を持つことがない人達を言うらしい。
しかし、どんなセクシュアリティにも言えることだが、アセクシュアルも例外ではなく、一人ひとりそれぞれの感情面での欲求というスペクトラム上に存在する人達だから、単一の定義で一括りすることはできなし、してはならないと思う。

また、つい最近までメンタルヘルスの世界では、アセクシュアルは障害と位置づけられており、ここにきてカミングアウトする動きが出てきたのは、自分の感覚や「自分が何者なのか」知ることが私たちにとって如何に大切なことなのか伺い知れる。

言い換えれば、それだけ、私達は性的に傷つき易く脆い訳で、下手をすると命取りになり兼ねない問題だからである。しかも、今日ほど屈折した愛が社会的に認知されてくると、これもまた反対に、非常にややこしく迷路に入り込んでしまったようなもので、当事者も周りも理解と対応に苦慮する。

まあ、私的には如何なる関係も寛容と妥協の上に成り立っていることから、旅は道連れ世は情けではないけど、その場その場を出来る範囲で楽しくハピーなものにしていけばいいと思うが、これを法律や制度上のものとして規定していくのはどうかと思う。なぜなら、制度化すると却って偏見と差別を生むからである。

そんな訳で、最近異性に惹かれても親密な関係になりたくない若者も多いようで、これもまた時代が求める愛のカタチである。そんな当世風なメンタルな視点から、今日的な都市問題を考えてみるのも面白いのではないかと思う次第である。

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分断

都市伝説、陰謀論、カルト宗教、政府やマスコミによる情報操作、教育による洗脳、どれをとってみても私たちの不安を煽り立てるものばかりで、人々の心を疑心暗鬼にさせ対立と分断を招いている。

さらに、度重なる政治家の疑惑から、政治への不信が高まり、総務省によると、今月の22日、21日投開票された統一地方選後半戦の市区町村長選、市区町村議選の平均投票率は、59市長選の平均投票率は前回より3・03ポイント低い47・50%で過去最低となり、初めて50%を割っている。

さらに、283市議選も45・57%と過去最低を更新、48・62%だった前回に引き続き2回連続で50%を割り、東京特別区の20区議選においても42・63%と前回比0・18ポイント下回る惨憺たるもので、有権者の関心の低さが伺い知れる。

まあ、 市民の45%前後の人から信任を得た代表が地方の政治を動かしているわけで、 これでは民主主義が正しく機能しているとは言えない。

また、国際政治に目を転じても、対話と協調が求められるにも拘わらず、全く信用できない駆け引きが続いている訳で、その最たるものは北朝鮮や韓国の醜態である。まあ、変化の時代とは言え、常に自分に都合の良いように事実を圧し曲げたり、勝手に史実を書き替えたり、歴史観まで捏造してしまったら、もはや対話にも協調にもならない訳で、つくづく誠意や誠実の尊さを痛感する。

しかし、それにしても、人間社会は政治にしても宗教にしても金融にしても、私達を自由にするどころか、縛り上げ支配する道具に成り下っている訳で、学術や文学、文化芸術やスポーツまでもが良からぬ勢力に利用され、本来私達の心を開放すべきものなのに、多くのものがエンタテインメント化し金儲けの道具になってしまっている訳で、今日、私達の心を純粋に解き放ってくれるものは数少ない。

まあ、「人を見たら泥棒と思え」ではないが、オレオレ詐欺から孤独な心につけ込むいろんな誘いや勧誘があり、とにかくそんな連中に目を付けられないためにも、人と交わるには人を見極める眼力を養う必要がある。それには、常に自分が自律し他者と一定の距離感を持って誠意ある付き合いに徹することに尽きるが、そうすれば「 類は友を呼ぶ」ことから、そんな邪悪な連中は付き合い切れずに、彼等の方から立ち去って寄りつかなくなるからである。

しかし、その一方、世の中にはいろんな人がいるから、疑い出したら切りがない。「バカとハサミは使いよう」なので、その辺は好き嫌いに拘わらずどちらにも100%偏ることなく、許容範囲内でつきあっていけばよいと思うが、統一地方選挙の結果を踏まえると、今日的には45%程度の関係性しか結べない寂しい時代なのかも知れない。

そんなことから、既に気心が知れた家族や仲間ほど大切なものはない。何年にも亘って培ってきた信頼の絆はそう簡単には壊れないし、心底から気に掛けてくれたり語ってくれたりするのが何よりも嬉しい。私的には、そんな関係性に甘えることなく日頃から精進して、いつまでも期待を裏切らない人間でありたいと思う。

何れにせよ、私達は不信と不安の中には生きられないから、社会の権威やシステムはそこそこに信頼して、自分なりに日頃の出会いを大切にし、見識を高める努力だけは怠らないようにする事が大切ではないかと思う次第である。

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神話

パクリ文化の中国製品を買うにはかなり勇気がいるが、コスパの良さから思い切ってHuaweiのパソコンを買ってみた。しかし、驚きのperformanceと作りの良さにはびっくりした。一頃の中国製品とは別もので、これでは日本のパソコンメーカーが太刀打ちできるはずがない。工業製品を製造する工業機械の分野では、まだ中国より日本に分があると思うが、コンシューマー向けの製品では、完全に中国に先を越され「モノづくり日本の神話」は崩れ去った感がある。

新通信規格5Gを巡る覇権爭いから、米国が中国を目の敵にするのも中国の技術力の高さに脅威を感じているからで、ここまで完成度が高いとパクリ文化も大したものである。

ところで、Huaweiといえばパソコンだけでなく、ライカのレンズを搭載した高級スマホが有名で、最近売り出されたフラッグシップモデルは、iPhoneを上回るスペックなのに価格が安い。さらに、時を同じくして売り出されたサムソンの最新スマホも何か色褪せてしまって、中華スマホの質感や性能の良さから、ついにスマホの牙城サムソンにも暗雲が立ち込めてきた感じである。

まあ、購入したばかりだから、使ってみないと分からないが、どうせパソコンは4~5年が寿命だから、今のところは快適なので、良い買い物をしたと思う。

ところで、最近の韓国や中国の国家戦略は、戦後の日本の高度成長路線をひたすら走っているような感じで、もう少しするとインドや東南アジアの低所得国が低価格競争に参入してくるから、コストを売りにしていたら何れは破綻することになる。だから、まだ日の高い内に産業構造の転換を図り、イノベーションから付加価値のあるモノづくりを推し進めていかないと、また低所得国に転落しか兼ねない。

まあ、パクリ文化が何処まで通用するか分からないが、この先パクリでは勝負できる可能性は低いと思う。しかし、この繁栄は米国の大学やIT企業から帰国した300万人の海亀族と言われる技術者によるもので今は破竹の勢いがある。まさに教育の力によるものだが、さらに彼らの思考パターンは米国のエリート集団筋金入りのポストモダニズムである。彼等の神をも恐れぬ超現実的な生き方には「今、オレ、金」と自分の潜在能力を信じている訳で、私的にはとてもついていけない思想だが、それが世界の主流であるから仕方ない。多勢に無勢、私のようなノスタルジックな人間ではスタートの時点で負けておりお払い箱である。多くのアスリートが言うように、自分を信じて神をも恐れず突き進む超現実的なチャレンジ精神に燃え立つのが今流のエリートであり、現実に世界はそんな連中によって動かされている。

そんな訳で、いよいよ新生日本が始まる。東京の街は何処も彼処もハングルや中文や英語ばかりで、電車に乗るにも一苦労する。正に国際都市「東京」だが、これが日本流の「おもてなし」とは言え、パリやロンドンの街の雰囲気を踏まえると、何か腑に落ちないものがある。

そこで、そんな目線で街を改めて眺めてみると、横浜の中華街では中華資本が日本人相手にビジネスしているし、東京の都心でも結構日本人ではなく外資が日本人を使ってビジネスしているような気がする。外資が外国人観光客を相手にビジネスしている訳である。

まあ、グローバリズムとはそんなものを言うのだろうが、何か文化を乗っ取られたような嫌な感じがする。しかし、現実には少しでも安くて良いものを求める消費動向に合致しなければビジネスは成り立たないので、結果は時流に沿った考えにパラダイムシフトして生き延びるしかないと思う。

昭和平成は過去の過去。令和には令和の生活スタイルがある。そんな風に気を取り直して、この連休は何処に行っても混み合っているから、少し落ち着いて、孫たちからも離れて、身辺整理でもして過ごしてみようと思う次第である。

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幻想

全てが幻想であっても幸せである。全てに感謝したいと思う。

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高齢化

都市と地方にかかわらず世帯の単身化と高齢化が進んでいる。国立社会保障・人口問題研究所が19日に発表した将来推計によると、40年には世帯主が65歳以上の「高齢世帯」のうち東京都45%超を筆頭に単身高齢化が進んでおり、すべての都道府県で30%を超え、全国平均では40%に達すると推計され、単身高齢化する社会を支える仕組みの再構築が求められる。

しかし、そもそも単身高齢化する原因を考えてみると、未婚や晩婚や離婚による少子化や単身化が進んでいるからで、戦後の民主教育や売国勢力に加担するマスコミやジャーナリズムによる一億総愚民化政策に私達が乗せらた結果とはいえ、いやはや実に情けない状況である。

特に、最近は行き過ぎた個性重視の風潮やプライバシー保護の世相が、核家族化や単身化に拍車を掛け、いつも気忙しく生活にゆとりもないことからも、家族や地域や職場でも本音を語る場がなくなり、地域コミニティーどころか家族の絆も失われ、「兄弟は他人の始まり」どころか、良好な親子関係を維持することも難しい時代を迎えている。

ところで、一昨日の19日に東京の池袋では、高齢者が運転する乗用車が暴走して、自転車に乗っていた母子が亡くなった悲惨な交通事故があったが、運転していた高齢者は元旧通産省の官僚で、大手企業の役員を経て、勲章を受けた80代の男性だというが、街角にこんな危険も潜んでいるかと思うと、普段利用する街角の交差点だけに、高速道路の逆走以上に怖いものを感じる。

まあ、東京ではオリンピックを控え、インバウンドとか言って外国からの観光客目当ての社会インフラが整備されているが、地方に行けば何処も彼処も寂れ果て、閑古鳥が鳴いている始末で、統一地方選が終わったとは言え、投票率を考え合わせると無関心層も多く、民主主義の限界を感じてしまう。

まあ、私的には、5月1日の新元号の発布に期待するしかないが、とにかく私たち市民が当事者意識を持って、過去のことはともかく、私達のあるべき姿を真剣に考える時期にあることは確かである。

とは言え、歴史を紐解けば、社会は統治者や支配層に何らかの変革がない限り変わらないのが常である。そんな意味からも、9日後の5月の新元号の発布に伴う新生日本の誕生に大いに期待する次第である。

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文化

文化とは日々の生活そのものを言うのではないだろうか?

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