トホホ…

笑い事ではない。愚民教育による将来の日本である。3S政策(戦後GHQによるscreen,sport,sexに関心を向けさせる愚民教育)は着実にその成果を上げている。

それにしても、これだけNetで何でも学べる時代にこの有り様は、正に人は関心のあることしかフォーカスできない生き物であることが分かる。このような人達による民主主義が罷り通る世の中は悲惨しかない。

差別や偏見から抜け出たリベラル·デモクラシーは高度な知識と知恵なくしては成り立たないデモクラシーであって、知性や倫理観なくしてはLGBTQやSDGSも治安が悪化するだけで社会の退廃を生むだけのことである。

これからの社会の行方が気になるが、先人が自らに問い掛けた歴史の痕跡に少しでも関心を持ってもらいたいと思う。

しかし、この動画は酷すぎる。ヤラセであってほしいと思う。

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街並み

都会は人を自由にする。改めて世界遺産ビデオに、居場所の大切さを痛感する。

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NHKが作成した昭和61年(38年前)の国体のビデオが保管箱から出てきたので暇潰しに拝見したが、女性の服装や髪型から当時の生活ぶりが伺え面白かった。ご推察の通り今の生活とは雲泥の差で、どことなく以前の中国や今の北朝鮮のような雰囲気が漂う。

それに引き換え、戦乱や繁栄を繰り返してきた世界遺産のビデオが醸し出す重みはさすがである。やはり日本は辺境の地にあって、未だに独自の文化文明が残っていることが伺える。

そんな日本も、今は敗戦から見事にアメリカナイズされてしまい、もはや元の国体には戻れないと思う。まあ、天皇陛下を拝する民主社会主義国家に様変わりした訳で、昨今のお粗末な働き方改革で、誰か得をするのか、庶民労働者の生活が改善するとは思えない。

非正規労働者が増え少子高齢化に歯止めがかからぬことから、お国は年金制度改革を諦めたのか、新NISAを提案して米国投資に肩代わりしてもらうつもりなのか、ますます「自己選択、自己決定、自己責任」が問われる時代を迎えるが、そんな聞えのいい言葉に責任逃れにする高級官僚の立ち振舞いは流石に抜け目なく天晴れである。

いずれにせよ、集団思考から自主自立自尊の社会へと徐々に進む訳だが、意外と団塊の世代が後期高齢者になる辺りから、ガラリと社会が変わっていくような気がする。

まあ、お国も地域も家族も頼れないとなるとやはり頼れるものはお金かも知れないが、それも勤労意欲を失った非正規の対価となると、これまた考えものである。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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平凡

今日は昨日と打って変わる花冷えを通り越した寒さに雨まで降ってきて、またしても意気消沈、世間の逆風よりお天気の方が苦になる。

なぜなら、雨が降ると切り落とした枝木や昨年刈り取った農作物の残渣が乾くのを待たなければ片付けられないからで、予定していた作付準備が滞るからである。特に今年は畑作は手抜きするつもりなので、お天気が身方してくれないと心細い。

しかたないので、風呂場の掃除をカビキラーて念入りにしたが、これで黒カビ対策は万全である。とにかく、カビは万病のもと、免疫が落ちると体内で増殖して、毒素を撒き散らし身体のあちこちで炎症を引き起こすからである。そんなところは歯周病と同じで、共に隙あらば侵略しようと虎視眈々と狙っているところは生命活動の本質である。

そんなカビ毒を疑ってみるのも体調管理の秘訣であり、体内のカビの増殖を抑えるにはそれなりの対策が必要であるが、手軽さから言えば、カビ菌が嫌う食物を摂ることである。

聞くところによると、

1 ニンニク  2 梅肉エキス  3グレープシードオイル  4 ココナッツMTCオイル  5 ローズマリー  6 シナモン  7 オリーブの葉  8 バウダルコ 9 リンゴ酢  10 エキナセナ  11 ブラックウォールナット

を適度に摂るといいようだが、聞きなれないものもあるから、身近なもので試してみるのもいいかも知れない。

そんな訳で、何事もメンテナンス、日頃の心掛けに尽きる。医者や薬に頼れば一時はいいかも知れないが、誤診や副作用もあるから、基本的に日頃のメンテに勝るものはない。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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いよいよ…

いよいよ今日から4月である。初日なので焼き塩を作り玄関と神棚に供えて「家内安全、無病息災」を祈願したが、今日は昨日に引続き春の陽気に絆され、畑を耕したところ黄金虫の幼虫が出てきたので、咄嗟に踏み潰してしまったが、農作物の根を食い荒らす害虫とは言え、何か後味の悪いものが残った。

それにしても、今年は3月末に予想外の寒さから、頃合いを見計らって外に出したベコニアが壊滅的なダメージを受け、何とか生き残った株を鉢植えしてみたが、寒い冬に勝手口に並べて養生していただけに、大半が枯れてしまい残念至極である。気を取り直し、今年もフェンス沿いにゴーヤを植えるつもりなので、土を耕してみたが柔らかな土の感触に心が弾んだ。

そして、近くのバラに水やりしたが、散水ノズルの付根が水漏れするので、ダメ元でAmazonで部材を検索したところ、何と480円で売られていた。捨てるには惜しい値なので直ぐ購入したが、Amazonの品揃えには改めて「驚き桃の木山椒の木」である。

そんな中、妻が買い物に行くと言うので、洗濯機をかけながら私がカレー作りに回ったが、段ボールを覗くと芽が出たり青くなったりした「じゃがいも」があったので、良いものだけ残して処分した。

そんな新規信奉の春の1日だが、今年は何とか手抜き菜園で何処までやれるか挑戦しようと思う。里芋は水やりが大変なのと大きくなるので止めて、じゃがいもも程々にしようと思う。イチジクは大胆に枝下ろししたので、多分成らないと思うが、植え替えた金柑は何とか大きく育ってほしいと思う。

そんな訳で、今日も平凡な1日が終わる。明日は土いじりをしながら、DIYの工具の整備でもしようと思う。そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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居場所

人間も動物だから、知らず知らずの内に生活環境の影響を受ける。いや反対に、生活環境が人間を作ると言っても過言ではない。

だから、手っ取り早く自分を変えたいのなら転職や引っ越しをするのが一番である。これまでの生活を続ける限り、何も変わらなし変えられない。

まあ、居場所を変えるだけでも朝起きた時に飛び込んでくる風景が違うし出会う人も違えば生活意識はガラリと変わる。論より証拠、旅が新たな生活の出発点になることはご案内の通りである。

時は春の真っ盛り、入学や就職の季節だが、舞い落ちる桜の花びらに新たな出会いや別れが重なり、これまでの思考パターンや気の持ち様がガラリと変わる体験をしたことは誰にもあると思う。

結論を言えば、今の自分は今の生活環境によって形作られている訳で、暗くも明るくも、快活にも卑屈にもなり得る。最悪は嫌な人間に囲まれて暮らすことで、正に「怨憎会苦」人格を否定してくるような人間とはなるべく会わないようにすることが肝要である。今の生活をガラリと変えたければ、縁も所縁もない地に赴くのが一番だが、しかし、これは今までの生活を捨てることになるから、かなり勇気がいる決断であり挑戦である。しかし、キリストを始め、聖人と言われるお釈迦様も妻子を捨て転々と居場所を変えているし、親鸞や日蓮も弘法大師も、また、著名な芸術家や学者や研究者なども、転々と生活拠点を変えて偉業をなし遂げていることはご案内の通りである。

そんな中、先週辺りから、春の長雨(?)に家の中に閉じ込められ、仕方なしに「世界遺産や日本の名所」などのシリーズビデオを拝見していたが、それぞれの世界(生活環境)に適応して暮らす人々の暮しぶりを見て、もはや能わぬ夢と人生の短さを痛感した。

そんな中、先ほど来の屋根に滴れる雨音に「今日も雨か」と想わずため息が出てしまったが、「朝が来ない夜はない」と無理して気を取り直した次第である。

そんな訳で、とにかく生活環境はストレスの元凶に成ることもあるから、自分に適した居場所を一刻も早く見つけることに尽きる。明るく風通しがよく、貧しくも気の合う思い遣りのある人たちに囲まれて暮らすのが一番である。生成AIが幅を利かす世の中、今や人間の精神や心理状態も科学的に遺伝子レベルの解析から解明できている訳で、依存や共依存、アダルトチルドレンなどの心理分析の時代は終わりつつある。

それから始まる大艱難時代は民主主義の最終段階リベラルデモクラシーで終焉を迎え、学びを忘れた民主主義の暴走は、福島の原発事故や政治資金パーティーの裏金問題からしても、また年金医療介護などの社会保障制度の有り様や、さらに不必要な海外投資に絡む規制緩和や徹底による遺伝子組み換え農薬添加物まみれの食糧事情や大切な国民資産の資本流失など、どれをとっても無策、非作為の成れの果て、責任の所在も分からぬ愚策に対策もその場しのぎでは、真面に生きられる訳がない。

しかし、そんな劣悪な社会だからこそ、創意工夫の余地がある訳で、社会はどうであれ、見つけようと思えば、どんな苦難にも打ち勝つ精神力やスキルは必ず見つかる訳で、自分の生命力を信じて、お互いに思い遣る仲間と集い頑張るしかない。

ディールに暮らせばディールに終わる。趣味や遊びに暮らせば心が知れる。そんな想いに互いに思い遣る友や家族の存在は欠かせない。そんな想いに、今日も今あることに感謝し、誠心誠意頑張ろうと思う次第である。

それにしても、世間は悲惨だ。社会の惨状はどうにもならないから、自分自身でよく学び考えて行動するしかない。お互い頑張ろう。

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情に生きる

情に生まれ情に生きる。こんな暮しをしていたら、今の世の中恐らくお人好しのカモネギで、人に利用され憂き目の果てに、誰からも相手にされない終末を迎えることになりそうである。

それにしても、この歌はやはり美空ひばりしか歌えない歌である。演歌は大衆娯楽かも知れないが、西洋の歌曲とは一線を画する情感がある。恐らく日本語の言い回しにあると思われるが、つくづく日本語の素晴らしさを実感する。

今日も1日無事に過ごせた。改めて今あることに感謝したい。

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健康

今日は久々にお天気がよかったので、タオルケットを洗濯したり、フェンス沿いのブルーベリーや金柑の植え替えをしたり、久々にいい汗をかいた。

しかし、お天気が良いのは今日だけで、週末に向け、また雨だと言うから困ったものである。良い天気が続かないと、大工仕事は1日では済まないから始められない。する気なら廊下でも出来ないことはないが集塵機がないから掃除が大変で、容易には始められない。

それにしても、昨夜は首痛が酷くて夜中に何回も起きてしまった。夜よく目が覚める人は短命だと言うが、不安や恐れをなしてもどうにもならないので、成り行きに任せ、巷の健康情報は「あら、そうなの?」程度に収めている。

それでも、最近の食材は、農薬や抗生物質、添加物や遺伝子組み換えなど、何らかの形で影響を受けている訳で、お肉や卵や養殖魚などは成育過程で抗生物質を与えるので、間接的に私達も摂取しているらしい。抗生物質は体内の細菌は殺せるがカビは殺せないようで、下手をするとカビが体内で繁殖しかねない。防ぐには、カビのエサとなる甘いものを控え、大根おろしやりんご酢や熊笹を摂るとカビの増殖を防げるらしいが、いろいろ面倒臭くて困ったものである。

私は毎朝歯を磨く時、舌苔の有無を確かめるが、舌苔は体内のカビ菌の増殖サインらしいから注意を要する。体内のカビ毒は腸壁を食い破り血液中に毒素を入り込ませてしまうらしく(リーキーガット)、いろんな疾病の要因と言われる。

疲れやすく、食後の眠気やお腹の調子が良くないなどの症状は一度疑ってみる必要がある。食事の内容もさることなかれ、暗くじめじめした部屋に居ると、知らず知らずの内にカビの胞子を吸い込んでしまうらしく、日頃から居室はもちろん、敷物やラグなどなるべく敷かないで、風呂場や台所やトイレなどの水回りは風通しよく清潔に保つことが肝要である。

そんなことだから、私は朝起きると寒くても必ず窓や戸を開け放し空気の入れ替えをしているが、洗濯物を部屋干しすると除湿器にかなりの水が貯まるので、梅雨時の湿度管理には最善を尽くそうと思う。

そんな訳で、ウイルスや細菌やカビ毒、邪気や悪霊、好意や敵意など、とにかく見えない存在には、それなりの対策が必要不可欠な訳で、見えないが故に厄介である。

正に、弱肉強食の世の中、一片時も休む暇もない。出来るとしたら、免疫などの体内の防御システムがスムーズに回るように、手助けするしかない。改めて、健康管理の難しさを痛感する次第である。

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続 日常

「人は自分には生きられない」とは故三島由紀夫の言葉だが、仮に他国が侵略してくれば、男なら愛する家族や恋人のために武器を持って戦うだろうし、女性は母性をして産まれし子供に己れの未来を託すだろうし、何れにしても「人は自分に生きる存在」でないことは察し得る。

そんな大自然の摂理を背にして、未来に生命を引き継ぐ営みこそが、私達一人一人に課せられた使命であって、いつまでも我欲や愛着に固執しているようでは心許ない。

まあ、総理大臣を始め政治家や高級官僚たちがこぞってお手本を示しても、戦後愚民教育により世間は影に回って利得を目論む輩ばかりだから、やはり社会は一度ガラガラポンしないとダメかも知れない。

いずれにせよ、思い遣りに生きるしか未来はない訳で、そんな想いに身近な絆を大切にしていこうと思う次第である。

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日常の意味

今日は雨で出掛けたくなかったが、歯医者の予約が入っていたので出掛けない訳にはいかない。左奥歯の歯肉が下がり歯周ポケットになっているらしく、治療を兼ねたクリーニングをしてもらい、これからも自分の歯で食べたいので、4ヶ月後にメンテを入れてもらった。

それにしても、親切丁寧に診てくれるから助かる。訪問歯科のクルマが駐車場に停まっているので、在宅での歯科治療もしているようだが、そんな風にはなりたくない。そんなことで、途中スーパーによってパンやお惣菜を買って家に帰り昼を食べたが、やはり雨の日は気分が塞ぐ。

それで、暇潰しに世界遺産の中国版を拝見したが、シリーズビデオらしく遺産内部の映像などもあって結構楽しかった。

そんな日常だが、近所がネズミが塩を引くように一人二人と施設や入院となると、強ち他人事とは思えない。いずれは、誰もが独り身になるか、先立たねばならない訳で、正に人生は愛別離苦(愛するものとの別れ)、怨憎会苦(怨みや憎しむものとの出会いの苦しみ)から逃れられない。

仮に支える人の存在が自分の支えになり未来になるとしても、いつかは一人になる定めにある訳で、さらに愛別離苦の苦しみの末に、お互いの存在を祈りの中に証しするしかなくなると思うと、生きることの空しさを禁じ得ない。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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