今日はゴミの収集日だが、昨日植木屋さんに切ってもらった枝木は、適当なサイズに切断しないと収集してくれない。そこで、やり始めたものの根気が続かず途中でやめた。
何時もなら、剪定した枝木は植木屋さんが持ち帰ってくれるが、他の仕事の合間の無理矢理仕事だったので、私の方で処分することにしたが、想定外にたいへんだった。
それにしても、優に2階に届くまで放ったらかしにしていたので、切り落とした幹もかなりの太さであった。実がならなくても東側の路地から遠目に玄関先が見えるので目隠しのつもりで剪定してもらったが、かなり大胆に枝を落としたので、果たしてどんな形に枝を張るのか、来年が楽しみである。
ところで、今日の日の出は6時3分、ずいぶん遅くなったもので、日の出と日没の時刻が毎日AppleWatch の小さな画面に表示される。 この2年コロナ自粛で電車やバスにはほとんど乗らないから、料理のタイマーとしてしか使っていないが、健康情報も表示され、時には電話の応答も出来るから便利と言えば便利だが、買い物は通販やプリペイドカードを利用しているので、あまり役に立たない。
そんな1日の始まりだが、やはり晩秋ともなると肌寒く。夏場のように床からすんなり抜け出せない。身体は正直である。自然の成り行きだから、無理をせず何事も決めごとにしないで、湧き水が溢れるようにナチュラルに生きていきたい。
ところで、同じ太陽の光も、朝日と夕陽では桁違いで、朝日は浴びると清々しが、夕陽はぎらきして神経に障わる。真面に長引く浴びるとイラつくが、そんなことからか、家相·風水的には西には大きな出入口や窓を設けるのは凶相とされ、確かに昔の家は、そんな教則に守られて建てられている家が多い気がする。
しかし、これも一種の迷信で、出来るだけ西陽を避けながら、イラつかない家をデザインするばいい訳で、基本的には生活環境が生命体に及ぼす様々な影響を知ることが大切である。
私としては、とにかく風通しがよく清潔なところに住まうことが第一だと思うし、埃や塵にはダニやカビの胞子や様々な心配事などの陰湿な陰気が付着していると言うから、お掃除は念入りにしている。
喧嘩ばかりしている部屋には、床にその陰気が溜まりイライラする部屋になってしまうらしく、不味いラーメン屋の床にはお客の陰気が溜まり凶相の店構えになるらしく、とにかく負の感情や陰気が溜まらないようにすることが、心身の健康を維持し、健全な生活をする秘訣である。
そんな訳で、今日も後一仕事、日没まで自作小屋の取り回しに頑張ろうと思う。東電には連絡したので、それなりに電柱の建て替えもしてもらえると思うし、とにかく、年内で何とか最初で最後の断捨離プロジェクトを終えたいと思う。
昼寝から目覚め、午後のひととき、キンモクセイの甘い匂いに元気をもらい、改めて外仕事に己の存在を証していこうと思う。
すべてに感謝する次第である。