屋根

道具箱を漁っていたらウレタンスプーが出てきたので屋根瓦の補修をしてみた。スプレー缶はよく振ってからノズルボタンを押し込むのだが、屋根上は不安定なので足に力が入らず苦戦した。

瓦の隙間を程良く埋めたかったが、発泡ウレタンの粘りからうまくいかない。挙句の果てに、指先や衣服のあちこちに付着して剥がすのに一苦労した。やはり、屋根の補修は昔ながらの漆喰に限る。

それにしても、平屋の屋根だから大したことはないと見くびったが、実際屋根に登ってみると勾配があってバランスを崩しそうで足が怯んだ。

この暮れにきて、屋根から落ちてケガでもしたらそれこそ大変、洒落にならないので、途中で切り上げ、頭にきたのでスプレー缶を地面に叩きつけてストレスを発散した。こんなもの二度と見たくない。バカをみた。

ところで、明日は昼と夜が半々になる冬至で、これからは昼が少しずつ長くなる。極寒の日々がこれから2か月続くと思うと、ひたすら暖冬を祈りたい。暖かい日中を狙って、土作りに励むしかない。

ところで、来週日比谷でBENIのコンサートがあるが、このところの体調不良で二の足を踏んでしまった。残念である。

それにしても、年々、気力体力の衰えを感じる。これまで大病はしたことがないからラッキーだが、知り合いが一人ふたりと疎遠になる流れに、自愛に徹し気楽安楽な日々を送られることを切に願いたい。

そんな想いに、改めて穏やかなありふれた日常にひたすら感謝したい。

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想い

われ山に向かいて目をあぐ、我が救いは何処より来や…   全てに感謝したい。

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やはり…

欲の信用の創造から信用の崩壊による国家社会の崩壊滅亡の危機にある中国の現状を垣間見るに、国家存続の新たな一手として、東シナ海と沖縄、さらに日本侵略への野望が見えてくる。

敗戦によって貴重な人材を失った日本は、戦後ろくでもない日本人に統治されてきた訳で、その弊害が今日の日本の今にある。

まあ、それでも、破壊された伝統や文化の中に「日本人の魂の断片」を見出だす人も少なからずいる訳で、そんな日本人らしさを持った人間が最近は表舞台に登場しつつある。

頼もしい限りである。エールを送りたい。

そんな流れに、魂の痛みから解き放たれ信用信頼の和(輪)の中に生きられる喜びにひたすら感謝したい。人間本来の愛と義と信頼に目覚め覚醒された社会は目前にある。

そんな想いに、改めて愛の本質を問いたいと思う。

全ては魂の契りに集約される。改めて今あることに感謝したい。

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想い

この歌を聞くと亡くなった母を思い出す。貧しかったが夢があった。その夢の一欠片も叶えられなかった自分の不甲斐なさに痛恨の想いが甦る。

多くが記憶の彼方に消え失せる中、感謝と恩寵を新たにする人は少ない。改めて感謝したい。

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夕暮れ時

「酒はほろ酔いにとどめ、花は七分咲きで眺めよ」と、古来の言い伝えにあるように、何事も物足りないくらいでやめておけば、その後に悔いが残らず楽しみが心に残る。しかし、反対に未練が残ることもあり、そんな迷いの毎日に、物事はほどほどに、偏らず適当な距離感を持って接する難しさを痛感する。

そんな迷いの毎日に、持病の首痛も収まり、食事も美味しく、普段顔を合わせる妻やご近所やワンちゃん達も皆んな元気でなにより、ありふれた日常にひたすら感謝したい。

これから、年末年始、1月2月と朝の冷え込みがエスカレートするから、とにかく身体を冷やさない工夫をして、朝のトルクを軽減しようと思う。

蛇口を捻ればお湯が出る生活も、災害時や戦時下では敵わぬし、水道水の供給もいつ止まるか分からない。備えとして、風水的には宜しくないが、トイレなどの生活水には使えるからお風呂の水は抜かずにおこうと思う。

それしても、寒さは大敵、炬燵に巣籠もりになってしまい、困ったものである。それに、プレクリスマスで、カミさんがケーキを持ち込み、食後に食べまくる始末、お互い「花より団子」だから始末に悪い。子供や孫たちから誘いを受けるが、二人してNonoleta 寒いから何処にも行きたくない。

そんな訳で、今日も1日が終わる。暗くなる前に洗濯物を取り込んで、夕飯の下ごしらえでもしようと思う。そんな流れに、改めて今あることに感謝したい。

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夕暮れ

今日は暖かい。窓からの日差しが力強く、外水道のホースも氷っていなかった。体調も昨日から回復、何でもやれそうだが、何もできないのが現実である。笑…

ゴミ出しをして、洗濯物を干し、昼食に野菜の天麩羅を揚げ、モヤシやキャベツがあったので、昼と夜に適度に分けて食べればいいと思い焼そばを作った。

ご近所のワンちゃんたちが朝散歩に立ち寄りカミさんと遊んでいったらしいが、今は虹の橋に待つ「我が家の4匹のワンちゃんたち」の話が食卓に上ると、人知れぬ淋しさと儚さを感じる。

そんな1日も夕暮れ時を迎えると、室内の空気がぐっと下がり、自然とヒーターのスイッチに手が伸びる。明日は恒星間天体3I/ATLASが地球に最接近する日だが、どうやら激突は免れそうだが、定かではない。

毎日は自分なりに充実しているが、世間の流れからすると不安や懸念材料ばかりで、とても心穏やかとはいかない。まあ、心配しても金融経済システムの崩壊や台湾有事などはどうにもならないし、せめて地震災害への備えくらいは何とかしておきたい。

いずれにせよ、生き延びても高が知れているから気楽安楽にいくしかない。まさに人生は「失われた幻影」、最初から存在しなかったような気もする。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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年末

昨夜は首痛が再燃し朝まで眠れなかった。余りの痛さにロキソニン湿布をしたが効くどころか不快感が増してひどい目にあった。

昼に鎮痛薬を飲みやっと痛みが収まったが、熱はないが鼻水が出る。普段から体調管理には努めているが、最近はちょっとしたことで調子が悪くなるから困ったものである。

しかし、こう寒くなると気力体力が追いつかない。無理をしてもつまらないから、いろんなことが押せ押せになってしまう。情報の渦の中にあれもこれもと試していくうちに、やりきれなくなってしまう訳で、何かをするには何かを捨てなければならないことを痛感する。

ところで、以前からウザいと思っていたが、最近ちょくちょく不審電話が掛かってくる。もちろん連絡先にない相手には出ないが、その度スマホを取り出すのが面倒である。それで対策を考えていたところ、警視庁が提供するDigi Policeと言うアプリを見つけた。早速インストールしたところ、正に神アプリである。詐欺電話対策はバッチリである。

それにしても、便利さを悪用する邪悪な輩ばかりで、世の中は正に「渡る世間は鬼ばかり」である。「人を見たら泥棒と思え」では悲しいが、よくよく考えてみれば、何事も100%はないから、信用も疑念もほど程に持ち合わせるのが妥当である。

そんな訳で、冬至も間近に迫り、今年もいよいよ大詰めである。大掃除も一挙に出来ないから、少しずつ雑巾掛けをし綺麗さっぱりして新年を迎えたいと思う。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

https://youtube.com/shorts/fhxDkzkFLI4?si=t9ihLvp3RgAxA2kT

この動画を参考に冷えを克服しようと思う。

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未来

北京やソウルはマスクがなくては健康を害するくらい大気汚染が進んでいるらしい。考えてみれば、皆が同じ空気を吸ったり吐いたりしている訳で、そんな身体を正常に保つための大気を無意識に汚染していることが悲しい。感染症の流行なども考え合わせれば、自然環境を身勝手に汚すことが、己の破滅を招く訳で、それは人間の傲慢さにある。

「このくらいいいや」と汚していけば、いつかは自分の頭に降りかかってくる訳で、自然界の浄化システムも限界点を超えているように思う。

昔なら手放しに安心して飲めた水や吸えた大気は、時に浄水器や空気清浄機が必要なことからしても、自然環境への何かしらの配慮や手立ては必要不可欠、個人として持つべき最低限のマナーやエチケットを新たにする必要がある。

昭和のオッサンからすれば、駅前の暗闇で用をたすことも見てきているから、特別に中国人の民度が低いとは思えない。つまり、時代の流れから公衆衛生の尺度も変わってきた訳で、根本的には他者への配慮や気遣いが不可欠である。

人様にご迷惑を掛けない、ご厄介にならないことが基本中の基本で、そんなことは親子やパートナーとの関係においても言えることである。

「これくらいいいや…」と言った甘えが自らの破滅や社会の崩壊を招く訳で、面倒や手間を惜しむ姿勢に社会の病理があり課題がある。

つまり、公衆道徳や衛生観念がしっかりしていれば、自然と持続可能なクリーンな社会が成り立ち、未来に残して行ける訳で、グローバリズムが進行する中、そんな意識を共有していく必要がある。

皇室をお手本に、庶民が大家族制の伝統と文化の中にあった頃は、自然と持続可能な未来の青写真が描かれていた訳だが、今日のような個人の判断が優先され委ねられれば、将来に禍根を残す蛮行が繰り広げられても不思議はない。

まあ、西欧文化の原罪を原点に生きるか、然しては家系家訓に未来を託すかは人それぞれだが、問題はそれぞれにおいて、品格ある日頃の生活意識や日々日常の洞察力や他者への配慮が課題となる。

まあ、幼いころから、家事手伝いをさせ、生活意識を実体験させることが大切で、食卓に並ぶサンマにしても感謝なくしては食べられない身構えがなくては、健全な社会は成り立たないことは確かである。

まあ、お金さえあれば、何でも買える。ママ活やレンタルパパ、どっかの知事が援助交際で辞職したが、そんな一過性な「今だけ金だけ自分だけ」的な考えでは、禍根なき未来は築けない。

失敗や過ちだらけ、外れぱなしの人生だが、少なくとも晩節は人の道を踏み外さないことを願うばかりである。

そんな想いに、改めてすべてに感謝したい。

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クリスマス間近…

感情は無理して押し殺す必要はない。なぜなら、感情には消費期限があるからで、歳を取れば感覚や感性が鈍くなって、自然と感情の起伏がなくなり、大概のことはどうでもよくなるからである。

だから、感覚や感性に従って感情を爆発させて生きる方が、時に叶う自分なりの人生を送ることになる訳で、無理やり世間の常識や決まりに自分を合わせることはない。

然れど、人間は社会的な生き物だから、そこはそれなりに集団の決まりに従わなくてはならない訳で、その辺の兼ね合いが難しい。

そんな中にも、物事は「類は友を呼ぶ」で、同じ波長や周波数に同調して寄り集まる傾向がある訳で、裏を返せば、日頃の付き合い方次第で、生きる周波数帯が変わってくるのではないかと思われる。

酒飲みは酒飲み、音楽好きは音楽、サッカーやテニス、ウォーキングやジョギング、ガーデニングやDIYなど、正に「蓼食う虫も好き好き」である。

そんな趣味嗜好も余りに入れ込み過ぎると、これまた依存と中毒に社会生活に支障が生じることになり、誠に宜しくない。しかも、人間は「分かっちゃいるけど止められない」依存と支配のループに無防備なところがあって、これまた困ったものである。

まあ、ある種の病気である。そんな病気に向き合って少しでも軌道修正をしながら生きるのが現実であるが、一発勝負にいかないところがもどかしい。

そんなもどかしさに時には癇癪を起こすが、怒ったところで基本的な原因が取り除かれる訳もない。要するに、生活は手間暇がかかり面倒な訳で、その手間暇を惜しむところに人間の病理がある。

世俗はそんな手間暇を様々な手法や便利グッズで解消しているが、ドラッグや交わり、信仰や宗教、便利グッズなども、それなりの手当てやメンテが必要となり、これまた新たな手間を生じる。

となると、なるべく交わりや物は持たぬ方が手間が省ける訳で、正に本末転倒である。所謂ミニマリストの思考だが、これまた健康志向の日本誠真会の吉野敏明の「四毒抜き」のようなもので、今日的なライフスタイルからして、厳格に実践すると社会生活に支障がきたすし、今日的な生活の楽しみが半減してしまう。

そんなことから、適度に便利な手法やグッズは使いつつも、手間暇を惜しまないのがいい訳で、気が進まなければ、時間を置いたり止めてしまうのがいいと思う。

それにしても、今日は寒い。炬燵に座ると何も出来ないから、台所のストーブで温まりなが、このブログを書いているが、先ほど洗濯物を干すのに手が悴み、其処らにあるものに当たり散らしたくなった。ある意味、怒りの感性は衰えていない。

そんなことで、掃き出し窓を開けると畑の雀が一斉に雀が飛び立つ。改めて、生命の営みの意味を問いたい。すべてに感謝する次第である。

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年末…

リタイアしてからも外に働き帰宅して風呂に浸かり晩酌に1日の疲れを癒す。日本酒の熱燗に適当なツマミを添えて、お祭り酒を嗜むと言った生活も適度にバランスが取れた男のライフスタイルに思える。

普段酒を飲む習慣がないので、毎日となるとどんなものかイメージできないが、熱燗の匂いに小料理の味が重なり、かなり贅沢な時間が過ごせる気がする。

そんな御仁の生活ぶりはさておき、隠居お楽丼の私は、炬燵に転がり安楽三昧、部屋の照明を落とすと常夜灯の薄暗い中にボケッとした自分がいる。こんな時、酒が飲めたら、サントリーのコマーシャルのような贅沢な時間になるのだろうが、日本茶に憩うところが悲しい。酒は親しい友人や仲間とやるのが一番だと思うが、ご近所の先代が1人晩酌でお祭り酒していたのが私的には情緒があって何故か惹かれるものがある。

年末を控え、何とか障子も張り替え、部屋も大分片付き、今年は私の手料理でクリスマスやお正月を過ごしてみようと思うが、手料理は菜園以上に楽しいから、困ったものである。

そんな中、今時の健康志向から揚げ物や塩分は控えているが、揚げ物はCosori でノンフライするよりやはり天麩羅鍋で揚げる方が美味しい。しかし、少量だと天麩羅鍋では難しいので、先日お一人様用の小さな電気フライヤーをヨドバシで安売りしていたので購入してみたが、少量の油で簡単に揚がるから便利である。2400円とオモチャみたいな代物だが、冷凍のカキやコロッケやヒレカツなどが簡単に揚げられ、揚げたてが食べられるからカミさんも大満足、二人して食べまくり、とても健康志向どころではないが、「食べることしか楽しみがない」私達だから仕方ない。

そんな訳で、世間様は近隣諸国との不穏な流れや地震や恒星天体の接近など災害不安に暇がないが、そんな世俗はええ知らん我関知せずにして天空に想いを繋ぎ、新たな出会いに幸あらんことを願いたい。

変化と多様性の中、誰もが立ち位置や目的を見失い、ある種のこじつけに諦めて生きる現実に、その時々の想いにエールを贈りたい。

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